・・・砂浜に漁船が三艘あげられている。そのあたりに、一むらがりの枯れた葦が立っている。背景は、青森湾。舞台とまる。一陣の風が吹いて、漁船のあたりからおびただしく春の枯葉舞い立つ。いつのまにやら、前場の姿のままの野中教師・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・三時頃からはもう漁船が帰り始める。黒潮に洗われるこの浦の波の色は濃く紺青を染め出して、夕日にかがやく白帆と共に、強い生々とした眺めである。これは美しいが、夜の欸乃は侘しい。訳もなしに身に沁む。此処に来た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒め・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・また同じ島に滞在中のある夜琉球人の漁船が寄港したので岸の上から大声をあげて呼びかけたら、なんと思ったかあわてて纜をといて逃げうせ、それっきり帰って来なかったそうである。カラフトでは向こうの高みから熊に「どなられて」青くなって逃げだしたことも・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・このあいだ○○帝大総長が帰る時は八挺艪の漁船を仕立てて送ったのだという。 宅へ沙汰なしでうっかりこんな所へ来てしまって、いつ帰られるかわからないことになって、これは困ったことができたと思って、黒い海面のかなたの雲霧の中をながめていたら目・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・流れの最も強い下流の方には方々直径七、八間ほどの漏斗形の大渦巻が出来ます。漁船などこれに巻込まれたら容易に出られなくなるそうです。汽船などでも流れの急でない時を見計らってでなければ通りません。図は前にも云った通り上げ潮の時の有様ですが、下げ・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・熱海滞在中漁船に乗って魚見崎の辺で魚を釣っていたら大きな海鰻がかかったこと、これを船上で煮て食わされたが気味が悪くて食われなかったようなことなどを夢のように覚えている。東京から遥々見送って来た安兵衛という男が、宿屋で毎日朝から酒ばかり飲んで・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・先祖の一海和尚の墓に参って、室戸岬の荒涼で雄大な風景を眺めたり、昔この港の人柱になって切腹した義人の碑を読んだりしたが、残念ながら鯨は滞在中遂に一匹もとれなくて、ただ珍しい恰好をして五色に彩色された鯨漁船を手帳にスケッチしたりしただけであっ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・ところが十一月になってスクリューを失った一艘の薄ぎたない船が漁船に引かれて横浜へ入港した。船の名はシビリアコフ号、これがソビエト政府の北氷洋学術研究所所属の科学者数名を載せて北氷洋をひと夏に乗り切ったものであるということが新聞で報ぜられた。・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・蘆荻と松の並木との間には海水が深く侵入していると見えて、漁船の帆が蘆の彼方に動いて行く。かくの如き好景は三、四十年前までは、浅草橋場の岸あたりでも常に能く眺められたものであろう。 わたくしは或日蔵書を整理しながら、露伴先生の『言』中に収・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・外に感じたので〔以下原稿数枚なし〕は町をはなれて、海岸の白い崖の上の小さなみちを行きました、そらが曇って居りましたので大西洋がうすくさびたブリキのように見え、秋風は白いなみがしらを起し、小さな漁船はたくさんならんで、その中を行くので・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫