・・・もともと実験の教授というものは、軍隊の教練や昔の漢学者の経書の講義などのように高圧的にするべきものではなく、教員はただ生徒の主動的経験を適当に指導し、あるいは生徒と共同して新しい経験をするような心算ですべきものと思う。簡単な実験でも何遍も繰・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・しかもその修養のうちには、自制とか克己とかいういわゆる漢学者から受け襲いで、強いて己を矯めた痕迹がないと云う事を発見した。そうしてその幾分は学問の結果自らここに至ったものと鑑定した。また幾分は学問と反対の方面、すなわち俗に云う苦労をして、野・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・また社会がそれだけの自由を許しているように見えます。漢学塾へ二年でも三年でも通った経験のある我々には豪くもないのに豪そうな顔をしてみたり、性を矯めて瘠我慢を言い張って見たりする癖がよくあったものです。――今でもだいぶその気味があるかも知れま・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・こういう外人の教師と共に、まだ島田重礼先生というような漢学の大儒がおられた。先生は教壇に上り、腰から煙草入を取り出し、徐に一服ふかして、それから講義を始められることなどもあった。私共の三年の時に、ケーベル先生が来られた。先生はその頃もう四十・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・抑も陰陽とは何物なるや何事なるや。漢学流の言に従えば、南が陽なれば北を陰と言い、冬が陰なれば春を陽と言い、天は陽、地は陰、日は陽、月は陰など言うが如く、往古蒙昧の世に無智無学の蛮民等が、其目に触れ心に感ずる所を何の根拠もなく二様に区別して、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・一、幼年の者へは漢学を先にして、後に洋学に入らしむるの説もあれども、漢字を知るはさまで難事にあらず、よく順序を定めて、四書五経などむつかしき書は、字を知りて後に学ぶべきなり。少年のとき四書五経の素読に費す年月はおびただしきものなり。字を・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・剣術の巧拙を争わん歟、上士の内に剣客甚だ多くして毫も下士の侮を取らず。漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・なるほど、細根大根を漢音に読み細根大根といわば、口調も悪しく字面もおかしくして、漢学先生の御意にはかなうまじといえども、八百屋の書付に蘿蔔一束価十有幾銭と書きて、台所の阿三どんが正にこれを了承するの日は、明治百年の後もなお覚束なし。 こ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
出典:青空文庫