・・・有名になった事が左程の自慢にはならぬが、墨汁一滴のうちで暗に余を激励した故人に対しては、此作を地下に寄するのが或は恰好かも知れぬ。季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬いたと云うから、余も亦「猫」を碣頭に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そ・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・八 秋 その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間にもなかったほど、よくできましたので、火山局にはあっちからもこっちからも感謝状や激励の手紙が届きました。ブドリははじめてほんとうに生きがいがあるように思いまし・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・この大会からさしでる希望の光、激励と協力の光がアジアのすべての婦人に幸福への道をてらし、何をどのようにたたかうべきかについてゆるぎない方向を示すことを信じてうたがいません。〔一九四九年十二月〕・・・ 宮本百合子 「新しいアジアのために」
・・・マクシム・ゴーリキイという一人の真に人民中の人民が、その野蛮と穢辱にみちた境遇からロシア人民の歴史の発展とともに、どんなに成長しぬいて行ったという足跡は、わたしたちに深い感動と激励を与えずにはいない。わたしたちは、克服しなければならないおび・・・ 宮本百合子 「あとがき(『作家と作品』)」
・・・ 例年作家団体は、デモに参加して数十万の勤労者とともに赤い広場でスターリンの激励の言葉に向って、歓呼の声をあげる。 五月二日はいわば一日の疲れ休みである。 閑散な日の光をあびて、劇場広場の角に大きな・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・この一事を、深く深く思ったとき、私たちの胸に湧く自分への激励、自分への鞭撻、自分への批判こそ一人一人の女を育て培いながら、女全体の歴史の海岸線を小波が巖を砂にして来たように変えてゆく日夜の秘められた力であると思う。〔一九四〇年六月〕・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ 各地方ロカフの激励によって「文学と戦争叢書」が続々刊行されはじめた。その一部として、アダム・ドミトリエフの『よし! 船をひけ』。別に、国内戦時代赤軍で働き有名な脚本「ラズローム」を書いたボリス・ラヴレーニェフの『斯うして防衛する』とい・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・私も激励して笑い乍ら「居は心をうつすそうだからね」と云って居ります。そしたら国男もしっかり勉強するのだそうです。 私の弟妹たちは一風も二風も其々に変って居ります。実に変っている。 太郎は今安積で、日にやけ、田舎の子と遊んで居る由、結・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・銃後の婦人へ与えられる激励の言葉、また、婦人のそれに応える誓の言葉は、最大級の感情を内容とする文字をつかって、今日では一つの形式をこしらえている。白エプロンに斜襷の女のひとたちの姿が現れたところ、即ちそこに戦時の気分が撒かれなければならぬよ・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・地方で刊行されているそれぞれの雑誌は、相互に刊行物の活溌な交換批評のやりとりなどをとおして、激励し合い、成果をくみとりあって行くことこそたがいに最ものぞましいことであろうと思った。〔一九三五年二月〕・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
出典:青空文庫