・・・ そこで、公衆は、ただ僅に硝子の管へ煙草を吹込んで、びくびくと遣ると水が濁るばかりだけれども、技師の態度と、その口上のぱきぱきとするのに、ニコチンの毒の恐るべきを知って、戦慄に及んで、五割引が盛に売れる。 なかなかどうして、歯科散が・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・澄むの難く濁るの易き、水の如き人間の思潮は、忽ちの内に、濁流の支配する処となった、所謂現時の上流社会なるものが、精神的趣味の修養を欠ける結果、品位ある娯楽を解するの頭脳がないのである、彼等が蕩々相率ひて、浅薄下劣な娯楽に耽るに至れるは勢の自・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 実際は東京の空気は年々に濁るはずである。自動車のガソリンの煙だけでも霧の凝縮核を供給することはたいしたものであろう。寒い曇天無風の夜九段坂上から下町を見るといわゆるロンドンフォッグを思わせるものがある。これも市民のモーラルを支配しない・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 去れどありのままなる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯るる心安さもあるべし。鏡の裏なる狭き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかかる十字の街に立ちて、行き交う人に気を配る辛らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、万頃の乱れは永・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・鳴る中には砕けて砕けたる粉が舞い上り舞い下りつつ海の方へと広がる。濁る浪の憤る色は、怒る響と共に薄黒く認めらるる位なれば櫓の周囲は、煤を透す日に照さるるよりも明かである。一枚の火の、丸形に櫓を裏んで飽き足らず、横に這うてひめがきの胸先にかか・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身の品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫