・・・同時に体の好い口実に瀕死の子供を使ったような気がした。 N君の帰ったか帰らないのに、伯母も病院から帰って来た。多加志は伯母の話によれば、その後も二度ばかり乳を吐いた。しかし幸い脳にだけは異状も来ずにいるらしかった。伯母はまだこのほかに看・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・今まで氷のように冷たく落着いていたクララの心は、瀕死者がこの世に最後の執着を感ずるようにきびしく烈しく父母や妹を思った。炬火の光に照らされてクララの眼は未練にももう一度涙でかがやいた。いい知れぬ淋しさがその若い心を襲った。「私のために祈・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ わたくしが死刑を期待して監獄にいるのは、瀕死の病人が、施療院にいるのと同じである。病苦がはなはだしくないだけ、さらに楽かも知れぬ。 これはわたくしの性の獰猛なのによるか。痴愚なるによるか。自分にはわからぬが、しかし、今のわたくしは・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽かも知れぬ。 これ私の性の獰猛なるに由る乎、癡愚なるに由る乎、自分には解らぬが、併し今の私に人間の生死、殊に死刑に就ては、粗ぼ左の・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・上を旋回していたら、ひとりのいたずらっ児の兵士が、ひょうと矢を射てあやまたず魚容の胸をつらぬき、石のように落下する間一髪、竹青、稲妻の如く迅速に飛んで来て魚容の翼を咥え、颯と引上げて、呉王廟の廊下に、瀕死の魚容を寝かせ、涙を流しながら甲斐甲・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 唄合戦の揚句に激昂した恋敵の相手に刺された青年パーロの瀕死の臥床で「生命の息を吹込む」巫女の挙動も実に珍しい見物である。はじめには負傷者の床の上で一枚の獣皮を頭から被って俯伏しになっているが、やがてぶるぶると大きくふるえ出す、やがてむ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 十三 健康な人には病気になる心配があるが、病人には恢復するという楽しみがある。瀕死を自覚した病人が万一なおったらという楽しみほど深刻な強烈な楽しみがこの世にまたとあろうとは思われない。古来数知れぬ刑死者の中・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・たとえば、ある書物に引用された実例によると、ある医者は、街上でひかれた十歳になるわが子の瀕死の状態を見ても涙一滴こぼさず、応急の手当に全力を注いだ。数時間後に絶命した後にもまだ涙は見せなかった。しばらくして後にその子の母から、その日の朝その・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・いっそう親切なのになると瀕死の人にいやがらせを言う。そうして病人は臨終の間ぎわまで隣人の親切を身にしみるまで味わわされるのである。 三 田舎の自然はたしかに美しい。空の色でも木の葉の色でも、都会で見るのとはまるで・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・中途で帰りたくなりはしまいか。瀕死の境に至っておめおめ帰りたくなるような事が起るくらいならば、移住を思立つにも及ぶまい。どうにか我慢して余生を東京の町の路地裏に送った方がよいであろう。さまざま思悩んだ果は、去るとも留るとも、いずれとも決心す・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫