・・・ ブリキを火箸でたたくような音が、こういうリズムで、アレグレットのテンポで、単調に繰返される。兎唇の手術のために入院している幼児の枕元の薬瓶台の上で、おもちゃのピエローがブリキの太鼓を叩いている。 ブルルル。ブルルル。ブルブルブルッ・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ただ波の底から焼火箸のような太陽が出る。それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂っているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼い波・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・これまで家を持たなかったわけではないから、いろいろな世帯道具は大体古くからのがあったが、鍋や釜、火箸、金じゃくし、灰ふるい、五徳、やかんの類は、そう大していいものをつかっていた訳もないので、みんなどっかへとんでしまったり、悪くなったりしてい・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ 桃子の顔を見ると、桃子は火鉢のふちへもたれかかって妙に口元を曲げたなり火箸で灰をいじっていて聞えないようにしている。「実はきのうは、僕たちの記念日でしてね、ひとつ趣向をかえて御飯でもたべようということにしたんです、或る家でね。細君・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・初薪のみにて焚きしときは、むら焼けになることありて、火箸などにてかきまぜたりしが、糠粃を用いそめてより、屍の燃ゆるにつれて、こぼれこみて掩えば、さる憂なしといえり。山田にては土葬するもの少く、多くは荼毘するゆえ、今も死人あれば此竈を使うなり・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫