・・・ 銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ 恥を知らない太陽の光は、再び薔薇に返って来た真昼の寂寞を切り開いて、この殺戮と掠奪とに勝ち誇っている蜘蛛の姿を照らした。灰色の繻子に酷似した腹、黒い南京玉を想わせる眼、それから癩を病んだような、醜い節々の硬まった脚、――蜘蛛はほとんど・・・ 芥川竜之介 「女」
ずっと早く、まだ外が薄明るくもならないうちに、内じゅうが起きて明りを附けた。窓の外は、まだ青い夜の霧が立ち籠めている。その霧に、そろそろ近くなって来る朝の灰色の光が雑って来る。寒い。体じゅうが微かに顫える。目がいらいらする。無理に早く・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・正面に、エレベエタアの鉄筋が……それも、いま思うと、灰色の魔の諸脚の真黒な筋のごとく、二ヶ処に洞穴をふんで、冷く、不気味に突立っていたのである。 ――まさか、そんな事はあるまい、まだ十時だ―― が、こうした事に、もの馴れない、学芸部・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ また山と言えば思出す、この町の賑かな店々の赫と明るい果を、縦筋に暗く劃った一条の路を隔てて、数百の燈火の織目から抜出したような薄茫乎として灰色の隈が暗夜に漾う、まばらな人立を前に控えて、大手前の土塀の隅に、足代板の高座に乗った、さいも・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 夕方であったのが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで逢ったこともないこの男が、女のためには古い親友のように思われた。「この位稽古しましたら、そろそろ人間の猟をしに出掛けられ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ また、うねうねとつづいた灰色の山を越してゆきました。 そして、沖の方へいった音色は、波の上をただよったのです。 また、砂山の上を越していった音色は、あちらの空に、円くうずくまっていた、こはく色の雲のあるところまでゆくように思わ・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・黒い着物をきて破れた灰色の旗がひるがえる。 風は、歌って聞かせました。そして、強く、強く吹き出しました。木の芽ばかりでなく、野原に生えていた、すべての草や、林が、驚いて騒ぎ出しました。中にも、この小さな木の芽は、柔らかな頭を・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・入口の階段に患者が灰色にうずくまったりしている。そんなことが一層この橋の感じをしょんぼりさせているのだろう。川口界隈の煤煙にくすんだ空の色が、重くこの橋の上に垂れている。川の水も濁っている。 ともかく、陰気だ。ひとつには、この橋を年中日・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・が、焼けなかった唯一の都会だと思えば、ことにみじめに焼けてしまった灰色の大阪から来た眼には、今日の京都はますます美しく、まるで嘘のようであり、大阪の薄汚なさが一層想われるのである。 月並みなことを月並みにいえば、たしかに大阪の町は汚ない・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
出典:青空文庫