・・・浅草の興行街は幸に空襲の災難を免れていたので映画の外に芝居やレビューも追々興行されるようになったから、是非にも遊びに来るようにと手紙をもらうことも度々になったので、去年の正月も七草を過ぎたころ、見物に出かけた、その時木馬館の後あたりに小屋掛・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・頭は薬缶だが鬚だけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退けられたなら、鬚こそいい災難である。運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。しかしその体格は解剖には叶っておらんだろうと思います。あれを評して真を欠いてるから・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・家内に病人あり、災難あり。いずれも皆、子供の教育に差支たるべきものなり。されどもこれらは非常別段のこととして、ここにその差支のもっともはなはだしく、もっとも広きものあり。すなわち他にあらず、身代の貧乏、これなり。およそ日本国中の人口三千四、・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・「ははあ、そいつはどうもとんだご災難でございました。しかしいかがでございましょう。こんども多分はそんな工合に参りましょうか。」「それはもうきっとそう行くね。ただその時に、僕が何かの都合のために、たとえばひどく疲れているとか、狼に追わ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・さて今度はとんだ災難で定めしびっくりなさったでしょう。」 チュンセ童子が申しました。「これはお語誠に恐れ入ります。私共はもう天上にも帰れませんしできます事ならこちらで何なりみなさまのお役に立ちたいと存じます。」 王が云いました。・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
「美しき月夜」は一九一九年の夏アメリカのレーク・ジョウジという湖畔に暮したころに書かれた。この作品は、われわれの人生に災難という形であらわれる偶然の力につよく印象づけられたことがあって、それが題材にされた。それから数年後に書・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・ 全く不幸な災難としかいいようのないこの事件が、先ず法律的処罰の対象となり得るということに一驚したのは、私だけではなかったろう。検事という職務の官吏が、みんな自家用自動車で通勤してはいない。弁当の足りないことを心のうちに歎じつつ、彼等も・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・そして途中ただその不意の災難を語りつづけた。 その晩はブレオーテの村を駆けまわって、人ごとに一条を話したが、一人もかれを信ずるものにあわなかった。 その夜は終夜、かれはこの一条に悩んだ。 次の日、午後一時ごろ、マリウスボーメルと・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・未亡人は頭痛持でこんな席へは稀にしか出て来ぬが、出て来ると、若し返討などに逢いはすまいかと云う心配ばかりして、果はどうしてこんな災難に遇ったことかと繰り返してくどくのであった。日が窪から来る原田夫婦や、未亡人の実弟桜井須磨右衛門は、いつもそ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫