・・・サアお出だというお先布令があると、昔堅気の百姓たちが一同に炬火をふり輝らして、我先と二里も三里も出揃って、お待受をするのです。やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たち・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・そうして千年の闇ののちに初めて光を、炬火の光を、ほのあかく全身に受ける。ヴイナスだ、プラキシテレスのヴイナスだ、と人々は有頂天になって叫ぶ。やがてヴイナスは徐々に、地の底から美しい体を現わして来る。 ある者は恐怖のために逃げ去ろうとする・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・苦患に焔を煽られる理想の炬火。それのない所に生は栄えないだろう。三 私は痛苦と忍従とを思うごとに、年少のころより眼の底に烙きついているストゥックのベエトォフェンの面を思い出す。暗く閉じた二つの眼の間の深い皺。食いしばった唇を・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫