・・・強権と友愛、所有と無欲、これである。平和への手段として、強権を肯定することは、畢竟、暴力の讃美に他ならない。この意味に於て平和への途は、強権を否定して、他の真理に道を見出すことである。所有することに於て、幸福を見出すものと、無欲に帰すること・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・さすがは秀吉はエライ人間をつかまえて不換紙幣発行者としたもので、そして利休はまたホントに無慾でしかも煉金術を真に能くした神仙であったのである。不換紙幣は当時どれほど世の中の調節に与って霊力があったか知れぬ。その利を受けた者は勿論利休ではない・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・觀世善九郎という人が鼓を打ちますと、台所の銅壺の蓋がかたりと持上り、或は屋根の瓦がばら/\/\と落ちたという、それが為瓦胴という銘が下りたという事を申しますが、この七兵衞という人は至って無慾な人でございます。只宅にばかり居まして伎の事のみを・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・その中途にある小屋へ声を掛けに寄ると、隠居さんは無慾な百姓の顔を出して、先生から預かっている鍵を渡した。「高瀬さんに一つ、私の別荘を見て頂きましょう」 と言って先生は崖に倚った小楼の方へ高瀬を誘って行った。「これが湯の元です」という・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・それから、無慾ということも大事ですね。慾張ると、どうしても、ちょっと、ごまかしてみたくなりますし、ごまかそうとすると、いろいろ、ややこしくなって、遂に馬脚をあらわして、つまらない思いをするようになります。わかり切った感想ですが、でも、これだ・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・大慾は無慾にさも似たり。 五、我、ことごとに後悔す。天魔に魅いられたる者の如し。きっと後悔すると知りながら、ふらりと踏込んで、さらに大いに後悔する。後悔の味も、やめられぬものと見えたり。 六、妬むにはあらねど、いかなるわけか、成功者・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・この世の中で、その発言に権威を持つためには、まず、つつましい一般市井人の家を営み、その日常生活の形式に於いて、無慾。人から、うしろ指一本さされない態の、意志に拠るチャッカリ性。あたりまえの、世間の戒律を、叡智に拠って厳守し、そうして、そのと・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・仙脱。無慾。世が世なら、なあ。沈黙は金。塵事うるさく。隅の親石。機未だ熟さず。出る杭うたれる。寝ていて転ぶうれいなし。無縫天衣。桃李言わざれども。絶望。豚に真珠。一朝、事あらば。ことあげせぬ国。ばかばかしくって。大器晩成。自矜、自愛。のこり・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・その無邪気な間の抜けた顔は慥かに無慾という事を現して居るので、こいつには大に福を与えてやりたかった。自分が福の神であったら今宵この婆さんの内に往て、そっとその枕もとへ小判の山を積んで置いてやるよ、あしたの朝起きて婆さんがどんなに驚くであろう・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 二、本当に人間の小怜悧さ以上のものの力が宇宙に充満していると直感した心の素直さ謙遜さ、無慾さ、それによって他人の欠乏苦痛を正直に考慮し助力しようとする智慧。〔一九二三年十一月〕・・・ 宮本百合子 「廃したい弊風と永続させたい美風」
出典:青空文庫