・・・ 清正は香染めの法衣に隠した戒刀のつかへ手をかけた。倭国の禍になるものは芽生えのうちに除こうと思ったのである。しかし行長は嘲笑いながら、清正の手を押しとどめた。「この小倅に何が出来るもんか? 無益の殺生をするものではない。」 二人の・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・五、六人の人が出はいりする前に、彼は早くもそんなことをする無益さを思い知らねばならなかった。頭の鈍い人たちは、申し立つべき希望の端くれさえ持ち合わしてはいなかったし、才覚のある人たちは、めったなことはけっして口にしなかった。去年も今年も不作・・・ 有島武郎 「親子」
・・・小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案の定燕麦売揚代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られない農夫が沢山出来た。 その間にあって仁右衛門だけは燕麦の事で・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・…… そこで、急いで我が屋へ帰って、不断、常住、無益な殺生を、するな、なせそと戒める、古女房の老巫女に、しおしおと、青くなって次第を話して、……その筋へなのって出るのに、すぐに梁へ掛けたそうに褌をしめなおすと、梓の弓を看板に掛けて家業に・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・この上尋ねるのは無益である。「お名は。」「私? 名ですか。娘……」「娘子さん。――成程違いない、で、お年紀は?」「年は、婆さん。」「年は婆さん、お名は娘、住所は提灯の中でおいでなさる。……はてな、いや、分りました……が、・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・かつて、私は、僧侶が、しゃく杖を鳴らしながら、道を歩くのは、虫たちを逃がして、無益の殺生をしないがためだという話をきいて、ひどく感動したことがありました。正しく生存する姿は、決して、自然との闘争でなくして、調和であると信ぜられるが故、たとえ・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・技巧によって死んだ思想を活かそうとするのは無益なことだ。露西亜の作家が平凡生活を書き、暗黒描写をして、尚お以上の愉悦の感興を与うるのを偉とするものである。 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・到底も無益だとグタリとなること二三度あって、さて辛うじて半身起上ったが、や、その痛いこと、覚えず泪ぐんだくらい。 と視ると頭の上は薄暗い空の一角。大きな星一ツに小さいのが三ツ四ツきらきらとして、周囲には何か黒いものが矗々と立っている。こ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「小田のようなのは、つまり悪疾患者見たいなもので、それもある篤志な医師などに取っては多少の興味ある活物であるかも知れないが、吾々健全な一般人に取っては、寧ろ有害無益の人間なのだ。そんな人間の存在を助けているということは、社会生活という上から・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・さてわれにも要なき品なれば貴嬢に送り返すべきなれど思う節あればしばしわが手もとに秘め置く事といたしぬ。無益とは知りつつも、車を駆りて品川にゆき二郎が船をもとめたれど見当たらぬも理なり、問屋の者に聞けば第二号南洋丸は今朝四時に出帆せりとの事な・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫