・・・何のために茲に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。 再びいう日本の十年間は西洋の一世紀にも相当する。三十間堀の河岸通には昔の船宿が二、三軒残っている。自分はそ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・中学校で英語を教えることは有害無益だという説もだんだん盛になって来るようである。思出すままに、わたくしたちが三、四十年前中学校でよんだ英文の書目を挙げて見るのもまた一興であろう。その頃、英語は高等小学校の三、四年頃から課目に加えられていた。・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・に訂正してやりたかったけれどもそう思い込んでいるものの心を、無益にざわつかせる必要もないからそれはそれなりにしておいて、じゃあのことはどうするつもりだと尋ねた。「あのこと」は今までの行きがかり上、重吉の立つまえにぜひとも聞いておかなければな・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・殊に病気の時など医師に対して自から自身の容態を述ぶるの法を知らず、其尋問に答うるにも羞ずるが如く恐るゝが如くにして、病症発作の前後を錯雑し、寒温痛痒の軽重を明言する能わずして、無益に診察の時を費すのみか、其医師は遂に要領を得ずして処方に当惑・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その心的方面を云うと、この無益な心的要素が何れ程まで修練を加えたらものになるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、こ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗い村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦を得たのである。今日牛乳や鶏卵チーズバターをさえとらざるビジテリアンがある。これらは若し仏教徒ならば論を俟たず、仏教徒ならざるも又大に参考に資す・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・此程のことを、無益に過させたり、其裡から、何か自分を養てるものを見出さないような自分では真逆なかろうから、と云った。実際、左様やって一月でも二月でも会わず、互に遠くから静かに互のことを思ったら、必ずよりよい理解が湧くに相異ない。良人に愛され・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・しかし私は本を読む人と劇を観る人とは自ら別だから、それは無益だろうと云った。さて今既に印刷し畢っているファウスト考には、右の第一部、第二部の正誤表を合併して、更に訂正を加えて添えてあるのである。六 正誤表に載せてある誤には、・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・その時までの記章にはおれが秘蔵のこの匕首(これにはおれの精神匕首を残せば和女もこれで煩悩の羈をばのう……なみだは無益ぞ』と日ごろからこの身はわれながら雄々しくしているに、今日ばかりはいかにしてこう胸が立ち騒ぐか。別離の時のお言葉は耳にとまっ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・は金のためで金は欲のためである。生きるだけで満足する者はない。すべての欲を充たさねばならぬ、欲は変現限りなし。限りなき本能の欲の前には限りある「人の命」は無益である。銀座の人は無益に歩いているのか。 人生は複雑である、むずかしい問題であ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫