・・・華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入った・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・が、然し乍ら今日では不利益なる職業と見らるゝだけであるが、二十五六年前には無頼者の仕事と目されていた。最も善意に解釈して呉れる人さえが打つ飲む買うの三道楽と同列に見て、我々文学に親む青年は、『文学も好いが先ず一本立ちに飯が喰えるようになって・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・の文士らしく若気の至りの放蕩無頼を気取って、再びデンと腰を下し、頬杖ついて聴けば、十銭芸者の話はいかにも夏の夜更けの酒場で頽廃の唇から聴く話であった。 もう十年にもなるだろうか、チェリーという煙草が十銭で買えた頃、テンセンという言葉が流・・・ 織田作之助 「世相」
・・・もし真に掘出しをする者があれば、それは無頼溌皮の徒でなければならぬ。またその掘出物を安く買って高く売り、その間に利を得る者があれば、それは即ち営業税を払っている商売人でなければならぬ。商売人は年期を入れ資本を入れ、海千山千の苦労を積んでいる・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・『私は無頼の徒ではない。』具体的に言って呉れ。私は、どんな迷惑をおかけしたか。私は借銭をかえさなかったことはない。私は、ゆえなく人の饗応を受けたことはない。私は約束を破ったことはない。私は、ひとの女と私語を交えたことはない。私は友の陰口を言・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・けれども無頼の私にとっては、それだけでも勇猛の、大事業のつもりでいたのだ。私は、いまこの二少年の憫笑に遭い、自分の無力弱小を、いやになるほど知らされた。私が、ふっと口を噤んで片手にビイルのコップを持ったまま思いに沈んでいるのを、見兼ねたか、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りません。ひそかに読書もしている筈であります。けれども、努力と共に、いよいよ自信がなくなります。 私たちは、その原因をあれこれと指摘し、罪を社会に転嫁するような事も致しません。私た・・・ 太宰治 「自信の無さ」
・・・や贋隠者のあけくれにも似たる生活をしているのだけれども、それ以前の十五年間の東京生活に於いては、最下等の居酒屋に出入りして最下等の酒を飲み、所謂最下等の人物たちと語り合っていたものであって、たいていの無頼漢には驚かなくなっているのである。し・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・日に十里を楽々と走破しうる健脚を有し、獅子をも斃す白光鋭利の牙を持ちながら、懶惰無頼の腐りはてたいやしい根性をはばからず発揮し、一片の矜持なく、てもなく人間界に屈服し、隷属し、同族互いに敵視して、顔つきあわせると吠えあい、噛みあい、もって人・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・私は無頼派です。束縛に反抗します。時を得顔のものを嘲笑します。だから、いつまで経っても、出世できない様子です。 私はいまは保守党に加盟しようと思っています。こんな事を思いつくのは私の宿命です。私はいささかでも便乗みたいな事は、てれくさく・・・ 太宰治 「返事」
出典:青空文庫