・・・僕たちは、安倍さんのあとで、お焼香をした。すると、また、涙が出た。 外へ出ると、ふてくされた日が一面に霜どけの土を照らしている。その日の中を向こうへ突きって、休所へはいったら、誰かが蕎麦饅頭を食えと言ってくれた。僕は、腹がへっていたから・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・葬式の通知も郷里の伯母、叔父、弟の細君の実家、私の妻の実家、これだけへ来る十八日正二時弘前市の菩提寺で簡単な焼香式を営む旨を書き送った。 十七日午後一時上野発の本線廻りの急行で、私と弟だけで送って行くことになった。姉夫婦は義兄の知合いの・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・いまの、あの、妹さんがお父さんに手をひかれて、よちよち歩いてお焼香した時の姿が、まだどうしても忘れられません。あれを見てわたくしどもは、ああ、母親というものは、小さい子供を残しては、死んでも死にきれないと思いました。しかし、母は、自殺し・・・ 太宰治 「春の枯葉」
七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ 追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・当主がみずから臨場して、まず先代の位牌に焼香し、ついで殉死者十九人の位牌に焼香する。それから殉死者遺族が許されて焼香する、同時に御紋附上下、同時服を拝領する。馬廻以上は長上下、徒士は半上下である。下々の者は御香奠を拝領する。 儀式はとど・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫