・・・竹の皮の黒焼きを煎じて飲みなはれ。下痢にはもってこいでっせ」 男は狼狽して言った。 汽車が動きだした。「竹の皮の黒焼きでっせ」 男は叫んだ。 汽車はだんだんにプラットホームを離れて行った。「竹の皮の黒焼きでっせ」・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・安い薬草などを煎じてのんで、そのにおいで畳の色がかわっているくらい――もう、わずらってから、永いことになるんだ。 結局お前は手ぶらですごすご帰って行った。呼びかえして、「――あれはどうしてる?」 と、お千鶴のことを訊きたかったが・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・人から聴けば臍の緒も煎じ、牛蒡の種もいいと聴いて摺鉢でゴシゴシとつぶした。 しかし一代は衰弱する一方で、水の引くようにみるみる痩せて行き、癌特有の堪え切れぬ悪臭はふと死のにおいであった。寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物一切にご利益があ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・と怒りながらも、まじないに、屋根瓦にへばりついている猫の糞と明礬を煎じてこっそり飲ませたところ効目があったので、こんどもそれだと思って、黙って味噌汁の中に入れると、柳吉は啜ってみて、変な顔をしたが、それと気付かず、味の妙なのは病気のせいだと・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・わいら、うらの爪の垢なりと煎じて飲んどけい。」 彼は太平楽を並べていばっていた。「何ぬかすぞい! 卯の天保銭めが!」 麦を踏み荒されたばかりで敷地となる田も畠もない持たない小作人は、露骨な反感を現わした。「うちの田は、ちょっ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・「ひょっとしたら私の病気にでもきくというのでだれかが送ってくれたのじゃないかしら、煎じてでも飲めというのじゃないかしら」こんな事も考えてみたりした。長い頑固な病気を持てあましている堅吉は、自分の身辺に起こるあらゆる出来事を知らず知らず自・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・第二の若僧 お師様、 お薬を煎じて参ったのでございます。 どうぞ召上って――法王 いろいろといかい御手数じゃ。 したがの、わしは今日はもう、せっかくじゃが、薬は、いらぬのじゃ。第二の若僧 どう遊ばしてでございます・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・げんのしょうこを煎じた日向くさいような匂がその辺に漂っていた。 長く引っぱって呻くように唄う言葉は分らないが、震えながら身を揉むようなマンドリンの音と、愁わしげに優しい低い音で絡み合うギターの響は、せきの凋びた胸にも一種の心持をかき立て・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫