・・・……高い廊下をちらちらと燭台の火が、その高楼の欄干を流れた。「罰の当ったはこの方だ。――しかし、婦人の手に水をかけたのは生れてからはじめてだ。赤ん坊になったから、見ておくれ。お庇で白髪が皆消えて、真黒になったろう。」 まことに髪が黒・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 其時上手の室に、忍びやかにはしても、男の感には触れる衣ずれ足音がして、いや、それよりも紅燭の光がさっと射して来て、前の女とおぼしいのが銀の燭台を手にして出て来たのにつづいて、留木のかおり咽せるばかりの美服の美女が現われて来た。が、互に・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与式以来の胸躍らせもしも伽羅の香の間から扇を挙げて麾かるることもあらば返すに駒なきわれは何と答えんかと予審廷へ出る心構えわざと燭台を遠退けて顔を見られぬが一の手と逆茂・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「どこへ置きましょう。」「燭台は高きに置け、とバイブルに在るから、高いところがいい。その本箱の上へどうだろう。」「お酒は? コップで?」「深夜の酒は、コップに注げ、とバイブルに在る。」 私は嘘を言った。 キクちゃんは・・・ 太宰治 「朝」
・・・そのころの田舎の饗宴の照明と言えば、大きなろうそくを燃やした昔ながらの燭台であった。しかしあのろうそくの炎の不定なゆらぎはあらゆるものの陰影に生きた脈動を与えるので、このグロテスクな影人形の舞踊にはいっそう幻想的な雰囲気が付きまとっていて、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 蝋燭にホヤをはめた燭台や手燭もあったが、これは明るさが不充分なばかりでなく、何となく一時の間に合せの燈火だというような気がする。それにランプの焔はどこかしっかりした底力をもっているのに反して、蝋燭の焔は云わば根のない浮草のように果敢な・・・ 寺田寅彦 「石油ランプ」
・・・時たま特別の来客を饗応でもするときに、西洋蝋燭がばね仕掛で管の中からせり上がって来る当時ではハイカラな燭台を使うこともあったが、しかし就寝時の有明けにはずっと後までも行燈を使っていた。しかも古風な四角な箱形のもので、下に抽出しがあって、その・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・ 吉里は燭台煌々たる上の間を眩しそうに覗いて、「何だか悲アしくなるよ」と、覚えず腮を襟に入れる。「顔出しだけでもいいんですから、ちょいとあちらへおいでなすッて下さい」と、例のお熊は障子の外から声をかけた。「静かにしておくれ。お客・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・壁に塗り込んだ煖炉の上に燭台が載せてある。 ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみた。この男はそう云う昔馴染の影像を思い浮べて、それをわざとあくまで霊の目に眺めさせる。そうして置けば、それが他日物を書くときになって・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・こんなに綺麗で、こんなに立派だったとは思いもかけず、左右についている銀色の燭台に蝋燭の灯をきらめかせて、何時間も何時間も、夜なかまで夢中になって鳴らしていた。 大きくなって見直せば、そのピアノは日露戦争の時分旅順あたりにあったものを持っ・・・ 宮本百合子 「親子一体の教育法」
出典:青空文庫