・・・ 遠藤は片手にピストルを握ったまま、片手に次の間の戸口を指さしました。「それでもまだ剛情を張るんなら、あすこにいる支那人をつれて来い」「あれは私の貰い子だよ」 婆さんはやはり嘲るように、にやにや独り笑っているのです。「貰・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・それが洋一の姿を見ると、電柱に片手をかけながら、器用に彼の側へ自転車を止めた。そうしてペダルに足をかけたまま、「今田村さんから電話がかかって来ました。」と云った。「何か用だったかい?」 洋一はそう云う間でも、絶えず賑な大通りへ眼・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ばたりと煽って自から上に吹開く、引窓の板を片手に擡げて、倒に内を覗き、おくの、おくのとて、若き妻の名を呼ぶ。その人、面青く、髯赤し。下に寝ねたるその妻、さばかりの吹降りながら折からの蒸暑さに、いぎたなくて、掻巻を乗出でたる白き胸に、暖き息、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・一人の少い方は、洋傘を片手に、片手は、はたはたと扇子を使い使い来るが、扇子面に広告の描いてないのが可訝いくらい、何のためか知らず、絞の扱帯の背に漢竹の節を詰めた、杖だか、鞭だか、朱の総のついた奴をすくりと刺している。 年倍なる兀頭は、紐・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。臍も脛も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。 自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「ばかいえ、手前なんかに片手だって負けっこなしだ」「そっだらかけっこにせよう」「うん、やろ」 おはまはハハハッと笑って水をくむ。「はま……だれかおれを呼んだら、便所にいるってそういえよ」「いや裏の畑に立ってるってそう・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「あったとも、君――後で収容当時の様子を聴いて見ると、僕等が飛び出した川からピー堡塁に至る間に、『伏せ』の構えで死んどるもんもあったり、土中に埋って片手や片足を出しとるもんもあったり、からだが離ればなれになっとるんもあった。何れも、腹を・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・男は腰巻き一つで、うちわを使いながら、湯の番人の坐っている番台のふちに片手をかけて女に向うと、女はまた、どこで得たのか、白い寒冷紗の襞つき西洋寝巻きをつけて、そのそばに立ちながら涼んでいた。湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 小さな良ちゃんは、片手に紅茶の空きかんを持ち、片手に手シャベルを握って、兄さんのお供をしたのです。「まあ、威張っているわね、にくらしい。」 窓から、小さな兄弟、二人の話をきき、出てゆく後ろ姿が見送っていたお姉さんは、いいました・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
・・・ 私は言われるままに、土のついた日和下駄を片手に下げながら、グラグラする猿階子を縋るようにして登った。二 二階は六畳敷ばかりの二間で、仕切を取払った真中の柱に、油壷のブリキでできた五分心のランプが一つ、火屋の燻ったままぼ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫