・・・ たとえ、其の人の事業は、年をとってから完成するものだとはいうものゝ、すでに、其の少時に於て、犯し難き片鱗の閃きを見せているものです。若くして死んだ、詩人や、革命家は、その年としては、不足のないまで、何等か人生のために足跡を残していまし・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・日によっては速記者も、おのずから襟を正したくなるほど峻厳な時局談、あるいは滋味掬すべき人生論、ちょっと笑わせる懐古談、または諷刺、さすがにただならぬ気質の片鱗を見せる事もあるのだが、きょうの話はまるで、どうもいけない。一つとして教えられると・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・若き兵士たり、それから数行の文章の奥底に潜んで在る不安、乃至は、極度なる羞恥感、自意識の過重、或る一階級への義心の片鱗、これらは、すべて、銭湯のペンキ絵くらいに、徹頭徹尾、月並のものである。私は、これより数段、巧みに言い表わされたる、これら・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・けれども、殺戮の宿酔を内地まで持って来て、わずかにその片鱗をあらわしかけた時、それがどんなに悪質のものであったか、イヤになるほどはっきり知らされた。妙なものだよ。やはり、内地では生活の密度が濃いからであろうか。日本人というのは、外国へ行くと・・・ 太宰治 「雀」
・・・魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗を示した。「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いくせに。」「なんだ、知っているのか。しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人・・・ 太宰治 「竹青」
・・・けれども、さすがに病床の粥腹では、日頃、日本のあらゆる現代作家を冷笑している高慢無礼の驕児も、その特異の才能の片鱗を、ちらと見せただけで、思案してまとめて置いたプランの三分の一も言い現わす事が出来ず、へたばってしまった。あたら才能も、風邪の・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・過去の大学に、もしアカデミアの精神が伝統するというならば、これらの人々が現在、大学とその教授、学生――即ちわたしたち人民に向って示す精神のどこにその片鱗を見よ、というのだろうか。 こんにちの日本からは、正しい人民のアカデミアとアカデミズ・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・日本の監獄が治安維持法の政治犯と云っても非転向の共産主義者をどう扱ったかという歴史的事実の片鱗も描き出されている。そして、これらのことは「風知草」以前にはあるとおりの率直さで書くことのできなかった人民の歴史のひとこまである。「後家のがんばり・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ 父の性質、そして母の性質のちがいや、そこから醸された全生涯の、睦しくてしかしなかなかむずかしかったいきさつの片鱗が、こんなことにも本質的なものを閃かせているのである。 私が大きくなってからの父は、随分あちこちに出張の旅行をしたが、・・・ 宮本百合子 「父の手紙」
・・・――というより、箇性をやがて作る種々雑多な片鱗が、あっちから、こっちから或は自然に来、或は拾い集められ始めたのだという方が、適当であろう。とにかく、彼女ははっきり「我」というものについて考えるようになって来た。 私はどんな人にならなけれ・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫