・・・だって火の目小僧と長々の二人は、ただあたりまえの人が食べるだけしか食べませんでしたが、もう一人のぶくぶくは、お腹がいくらでもひろがるので食べるも/\一どに牛肉の千貫目やパンの千本ぐらいは、どこへ入ったかわからないくらいです。そんな男に腹一ぱ・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・その犬の蚤を発見した夜、ただちに家内をして牛肉の大片を買いに走らせ、私は、薬屋に行きある種の薬品を少量、買い求めた。これで用意はできた。家内は少なからず興奮していた。私たち鬼夫婦は、その夜、鳩首して小声で相談した。 翌る朝、四時に私は起・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・私は、八端の黒い風呂敷を持って、まちへ牛肉を買いに行き、歩きながら、いろいろ考えごとをしていて、ふと気がつくと、風呂敷が無い。落したのだ、と思ってしまって、すぐ引きかえし、あちこち見廻しながら歩いていると、よその小さい若いおかみさんが、風呂・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・講義も演習もいわば全く米の飯のようなもので、これなしに生きて行かれないことはよく知りながら、ついつい米の飯のおかげを忘れてしまって、ただ旨かった牛肉や鰻だけを食って生きて来たような気がするのであろう。講義の内容は綺麗に忘れているようでも入用・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・これは涜職者を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉を食うなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こうい・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・維新前牛肉など食うのは禁物であるからこっそり畑へ出てたき火をする。そうして肉片を鋤の鉄板上に載せたのを火上にかざし、じわじわ焼いて食ったというのである。こういうあんまりうま過ぎるのはたいていうそに決まっていると言って皆で笑った。そのときの一・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・という従来の古い形式の中に「牛肉」という新しい内容を収めさせた処にある。人力車は玩具のように小く、何処となく滑稽な形をなし最初から日本の生活に適当し調和するように発明されたものである。この二つはそのままの輸入でもなく無意味な模倣でもない。少・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・その一筋は大門を出て堤を右手に行くこと二、三町、むかしは土手の平松とかいった料理屋の跡を、そのままの牛肉屋常磐の門前から斜に堤を下り、やがて真直に浅草公園の十二階下に出る千束町二、三丁目の通りである。他の一筋は堤の尽きるところ、道哲の寺のあ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・滋養に富んだ牛肉とお行儀のいい鯛の塩焼を美味のかぎりと思っている健全な朴訥な無邪気な人たちは幸福だ。自分も最う一度そういう程度まで立戻る事が出来たとしたら、どんなに万々歳なお目出度かりける次第であろう……。惆悵として盃を傾くる事二度び三度び・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家が・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
出典:青空文庫