・・・鞭影への恐怖、言いかえれば世の中から爪弾きされはせぬかという懸念、牢屋への憎悪、そんなものを人は良心の呵責と呼んで落ちついているようである。自己保存の本能なら、馬車馬にも番犬にもある。けれども、こんな日常倫理のうえの判り切った出鱈目を、知ら・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・次郎兵衛は重い罪にとわれ、牢屋へいれられた。ものの上手のすぎた罰である。次郎兵衛は牢屋へはいってからもそのどこやら落ちつきはらった様子のために役人から馬鹿にはされなかったし、また同室の罪人たちからは牢名主としてあがめられた。ほかの罪人たちよ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・脱獄のシーンに現われる二重の高塀の描く単純で力強い並行線のパースペクチヴ。牢屋や留置場の窓の鉄格子、工場の窓の十字格子。終わりに近く映出される丸箱に入った蓄音機の幾何学的整列。こういったようなものが緩急自在な律動で不断に繰り返される。円形の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・とえば兵営の浴室と隣の休憩室との間におけるカメラの往復によって映出される三人の士官の罪のない仲のいいいさかいなどでも、話の筋にはたいした直接の関係がないようであるが、これがあるので、後にこの三人が敵の牢屋に入れられてからのクライマックスがち・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・例えば当時の富人の豪奢の実況から市井裏店の風景、質屋の出入り、牢屋の生活といったようなものが窺われ、美食家や異食家がどんなものを嗜んだかが分かり、瑣末なようなことでは、例えば、万年暦、石筆などの存在が知られ、江戸で蝿取蜘蛛を愛玩した事実が窺・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・さながら牢屋を思わせるような厳重な鉄の格子には、剛く冷たくとがった釘が植えてあった。この格子の内は、どうしても中世紀の世界であるような気がした。 ここを出て馬車は狭い勾配の急な坂町の石道をガタガタ揺れながら駆けて行った。ハース氏はベデカ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・すが最後得たりや応と引括って、二進の一十、二進の一十、二進の一十で綺麗に二等分して――もし二十五人であったら十二人半宛にしたかも知れぬ、――二等分して、格別物にもなりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬い頭だけ絞殺して地下に・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・仏蘭西の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いのほか、かえって日の眼を見るのを恐れて、依然として暗い中に這入っていたがったという話があります。ちょっとおかしな話であるが、日本でも乞食を三日すれば忘・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ところが民法では無能力であっても、もしあなた方が間違えていろいろな失敗をしてそれが刑法にふれますと、たちまち能力者になって、罰金をうけるのはもちろんのこと、ことによると牢屋に放り込まれて、いろいろな目におあいになることがよくあるのです。女の・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・権力で戦争に引張り出されるか、さもなければ戦争はいけないという人間として牢屋に引張られた。このなかに云いつくせない惨酷を自分の意志で踏み込んだ経験としてではなく受取った。私どもは人間として誇るべき何ものもない戦に追いたてられた。全く家畜のよ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
出典:青空文庫