・・・とうてい牢獄生活も出来そうもないしね。」 彼はこう言って苦笑するのだった。「バクニインなどは写真で見ても、逞しい体をしているからなあ。」 しかし彼を慰めるものはまだ全然ない訣ではなかった。それは叔父さんの娘に対する、極めて純粋な・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・唯ブランキは牢獄の中にこう云う夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望していた。このことだけは今日もなお何か我我の心の底へ滲み渡る寂しさを蓄えている。夢は既に地上から去った。我我も慰めを求める為には何万億哩の天上へ、――宇宙の夜に懸った第二の地・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 廊下はきょうも不相変牢獄のように憂鬱だった。僕は頭を垂れたまま、階段を上ったり下りたりしているうちにいつかコック部屋へはいっていた。コック部屋は存外明るかった。が、片側に並んだ竈は幾つも炎を動かしていた。僕はそこを通りぬけながら、白い・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・その他などに現れた先生の芸術云々――モグラモチのように真暗な地の底を掘りながら千辛万苦して生きて行かねばならぬ罪人の生活、牢獄の生活から私が今解放されて満足を与えられつつあるのは云々――私に生きて行かねばならぬ私であることを訓えてくださった・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・そこには、冷酷な牢獄の感じが、たゞよっていた。「なんでもない。一寸話があるだけだ。来てくれないか。」病院へ呼びに来た憲兵上等兵の事もなげな態度が、却って変に考えられた。罪なくして、薄暗い牢獄に投じられた者が幾人あることか! 彼はそんなことを・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・の場合では、大なる牢獄である。人間は、一度そこへ這入ると、いかにもがいても、あせっても、その大なる牢獄から脱することが出来ない。――こゝに、自然主義の消極的世界観がチラッと顔をのぞけている。 戦争は悪い。それは、戦争が人間を殺し、人間に・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・果して屈静源は有司に属して追理しようとしたから、王廷珸は大しくじりで、一目散に姿を匿してしまって、人をたのんで詫を入れ、別に偽物などを贈って、やっと牢獄へ打込まれるのを免れた。 談はこれだけで済んでも、かなり可笑味もあり憎味もあって沢山・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それを安全にやるために、われ/\の前衛を牢獄につないで置くのだ、――今になって見ると、お君にはそのことがよく分った。メリヤス工場でもその手をやっていたのだ。今夫が帰って来てくれたら! 職業紹介所の帰りだった。お君はフト電信柱に、「共産党・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・おげんはあの牢獄も同様な場所に身を置くということよりも、狂人の多勢居るところへ行って本物のキ印を見ることを恐れた。午後に、熊吉は小石川方面から戻って来た。果して、弟は小間物屋の二階座敷におげんと差向いで、養生園というところへ行ってきたことを・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・それから、ほとんど涙声になって、「バスチーユのね、牢獄を攻撃してね、民衆がね、あちらからもこちらからも立ち上って、それ以来、フランスの、春こうろうの花の宴が永遠に、永遠にだよ、永遠に失われる事になったのだけどね、でも、破壊しなければいけ・・・ 太宰治 「おさん」
出典:青空文庫