・・・地球上の物体が地面に向かって落ちる事は三尺の童子もこれを知る。これも知るである。空気の抵抗その他をなくすればほぼ一秒間九・八メートルの加速度をもって落つる事は中等教育を受けた者はともかくも一度物理学教科書に教えられる。しかしこれだけの簡単な・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。「味噌汁の実まで相談するかと思うと、妙なところへ干渉するよ」「へえ、やはり食物上にかね」「う・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・天も、地も、精神も、物体も、世界において何物もない、自己というものまでもないのでないかと考えて見た。無論、斯く考える私はある。しかし偉大なる欺瞞者があって常に私を欺いているのでもなかろうか。真の神という如きものもないのではないか。しかし斯く・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・クロッキーにおいて細部は追究されず、しかし流動する物体のエネルギーそのものの把握が試みられる。次の瞬間もうそこにはないその瞬間の腕の曲線、頸の筋骨の隆起、跳躍の姿がとらえられる。だが、そのうちに、ダイナミックに自然法則はとらえられる。「風知・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・心を鎮め、自然を凝視すると、あらゆる不透明な物体を徹して、霊魂が漂い行くのを感じずにはいないだろう。それも、春始めの、人間らしく、或は地上のものらしく、憧憬や顫える呼吸をもった游衍ではない。心が、深くセレーンな空気の裡に溶け入りて一体となり・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・「人間がそれによって物体に落ちる光の効果を説明する手段だ」とバルザックは考えた。或る芸術の中に外観がよく掴えられ、本当のように描かれている。「それでいい。しかも其では駄目だ。君達は生命の外観だけは捉える。けれども溢れ出る生命の過剰を現すこと・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 一つのコップのスケッチでも、それは影を正しく描き出されることではじめてコップという立体的な物体としてあらわされる。平面的に見えている側だけ書いても、それは五つか六つの子供の絵でしかない。童画は、原始人の絵画のように単純だが、鋭い感・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
・・・思想の体系が一つの物体と化して撃ち合う今世紀の音響というものは、このように爆薬の音響と等しくなったということは、この度が初めでありまた最後ではないだろうかと。それぞれ人人は何らかの思想の体系の中に自分を編入したり、されたりしたことを意識して・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・しかし、文学はそんなものからさえも、彼らもまたかかる科学的な一個の物体として、文学的素材となり得ると見る。此の恐るべき文学の包括力が、マルクスをさえも一個の単なる素材となすのみならず、宇宙の廻転さえも、及び他の一切の摂理にまで交渉し得る能力・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫