・・・人間の哀れな敗残の跡を物語る畑も、勝ちほこった自然の領土である森林も等しなみに雪の下に埋れて行った。一夜の中に一尺も二尺も積り重なる日があった。小屋と木立だけが空と地との間にあって汚ない斑点だった。 仁右衛門はある日膝まで這入る雪の中を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と物語る。君がいわゆる実家の話柄とて、喋舌る杢若の目が光る。と、黒痘痕の眼も輝き、天狗、般若、白狐の、六箇の眼玉も赫となる。「まだ足りないで、燈を――燈を、と細い声して言うと、土からも湧けば、大木の幹にも伝わる、土蜘蛛だ、朽木だ、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・彼等は、無産階級だ、いかに、搾取されつゝあるかを事実について物語る。また、一方に、享楽階級が、華かな生活を送る時分に、一方は、いかに暗黒な、そして、苦痛多き生活を送るかを事件について描写する。 けれど、目的は、その事実、もしくは事件の筋・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・ いったい、これ等の事実は、何を物語るものでしょうか。こうした場合に於ける、お母さん達の態度は、また、いろ/\であると思われます。たとえば、あるお母さんは、「いま、ちょっと、お歯が痛んだものだからこうしていたのですよ」と、さりげなく・・・ 小川未明 「読んできかせる場合」
・・・そして、彼等の文学は、手の白い、労働しない少数の者にさゝげられた文学であったことを、その小ブルジョア的作家態度と合わせて、はっきりと物語る以外の何ものでもない。題材として、そのものを取りあげないということは、そのものに対する無関心を意味する・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・これは、取りも直さず、これらの諸作家が平常の如何に関らず戦争に際して、動員され得るだけの素地を持っていたことを物語るものである。岩野泡鳴には凱旋将軍を讃美した詩がある。 自然主義運動に対立して平行線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ これは、いま、大日本帝国の自存自衛のため、内地から遠く離れて、お働きになっている人たちに対して、お留守の事は全く御安心下さい、という朗報にもなりはせぬかと思って、愚かな作者が、どもりながら物語るささやかな一挿話である。大隅忠太郎・・・ 太宰治 「佳日」
・・・いまとなっては、私は、おのが苦悩の歴史を、つとめて厳粛に物語るよりほかはなかろう。てれないように。てれないように。私も亦、地平線のかなた、久遠の女性を見つめている。きょうの日まで、私は、その女性について、ほんの断片的にしか語らず私ひとりの胸・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私のこの手記の目的ではない。私は市井の作家である。私の物語るところのものは、いつも私という小さな個人の歴史の範囲内にとどまる。之をもどかしがり、或いは怠惰と罵り、或いは卑俗と嘲笑するひともあるかも知れないが、しかし、後世に於いて、私たちのこ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・ すなわち、長火鉢へだてて、老母は瀬戸の置き物のように綺麗に、ちんまり坐って、伏目がち、やがて物語ることには、──あれは、わたくしの一人息子で、あんな化け物みたいな男ですが、でも、わたくしは信じている。あれの父親は、ことしで、あけて・・・ 太宰治 「十五年間」
出典:青空文庫