・・・と云って風雅がって汽車の線路の傍をポクポク歩くなんぞという事は、ヒネクレ過ぎて狂気じみて居ますから、とても出来る事では有りません。して見ると、いくら野趣が減殺されようが何様しようが、今日は今日で、何も今を難じ古を尚ぶにも当らないから、矢張り・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・こういう妄想を、而も斯ういう長い年月の間、頭脳の裏に入れて置くとは、何という狂気染みた事だろう、と書いたものなぞがあるが、頭脳が悪かったという事は、時々書いたものにも見えるようである。北村君はある点まで自分の Brain Disease を・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・あの子息の家が倒れて行くのを見た時は、お爺さんは半分狂気のようであったと言われている。しまいには、その家屋敷も人手に渡り、子息は勘当も同様になって、みじめな死を死んで行った。私はあのお爺さんが姉娘に迎えた養子の家のほうに移って、紙問屋の二階・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・芸術とは、そんなに狂気じみた冷酷を必要とするものであったでしょうか。男は、冷静な写真師になりました。芸術家は、やっぱり人ではありません。その胸に、奇妙な、臭い一匹の虫がいます。その虫を、サタン、と人は呼んでいます。 発砲せられた。いまは・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・トオキイの音が、ふっと消えて、サイレントに変った瞬間みたいに、しんとなって、天鵞絨のうえを猫が歩いているような不思議な心地にさせられた。狂気の前兆のようにも思われ、気持ちがけわしくなったので、それでも、わざとゆっくりと立ちあがり、お勘定して・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・父の死は肺病の為でもあったのですが、震災で土佐国から連れてきた祖父を死なし、又祖父を連れてくる際の、口論の為、叔父の首をくくらし、また叔父の死の一因であった従弟の狂気等も原因して居たかも知れません。加えて、兄のソシャリストになった心痛もあっ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・子猫をくわえたままに突っ立ち上がって窓のすきまから出ようとして狂気のようにもがいているさまはほんとうに物すごいようであった。その時の三毛の姿勢と恐ろしい目つきとは今でも忘れる事のできないように私の頭に焼きつけられた。 急いで戸をあけてや・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・重力の講義をする物理学の先生が、重力は時々人殺しをする不都合なものであると言って生徒を訓戒したらそれは滑稽を通り越してしまった狂気の沙汰であろう。しかし、おとぎ話に下手な評注を加えるのはほとんどこれに類した滑稽に堕しうる可能性がある。 ・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・そういう行為をあえてするという事は、すなわち彼が発狂している事の確かな証拠であるとこういう至極もっともらしい理由から、彼は狂気しているという事にきわめをつけられた。その結果として、それ以来はその前後の足を、たしか一本ずつ重い冷たい鉄の鎖で縛・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・五 ある日の午後も、隣りの狂気鳥が、しきりにでたらめのを囀っていた。 三声五声抱えの芸名なんかを呼んでいたかと思うと、だんだん訳がわからなくなって、調子に乗ってぎゃあぎゃあ空虚な声で饒舌りつづけていた。「またやってい・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫