・・・けれども狡猾なるブルジョアジーは、うまい、美しげな大義名分を振りかざす。欧洲大戦当時、フランスとイギリスのブルジョアジーは、ベルギーと、その他の国民の解放のために戦争を行っていると主張して民衆を欺いた。ほんとは、自分の掠奪した植民地を保持す・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・ 坑夫の門鑑出入がやかましいのは、Mの狡猾な政策から来ていた。 しかし、いくらやかましく云っても、鉱山だけの生活に満足出来ない者が当然出て来る。その者は、夜ぬけをして都会へ出た。だが、彼等を待っているのは、頭をはねる親方が、稼ぎを捲・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・その笑いはある狡猾な方法を思いついたことを通わせた。彼女は敷居の近くにその菓子を置いて、忍び足で弟の側へ寄った。「姉さん、障子をしめて置いたら、そんな犬なんか入って来ますまいに」と熊吉は言った。「ところが、お前、どんな隙間からでも入・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・作品に依らずに、その人物に依ってひとに尊敬せられ愛されようとさまざまに心をくだいて工夫している作家は古来たくさんあったようだが、例外なく狡猾な、なまけものであります。極端な、ヒステリックな虚栄家であります。作品を発表するという事は、恥を掻く・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・こんな意気地のない狡猾な奴になったのが、やたらに淋しく思われもするのだ。事毎にいい子に成りたがるからいけないのだ。編輯上にも色々変った計画があったのだが、気おくれがして一つもやれなかった。心にも無い、こんなじみなものにして了った。自分の小才・・・ 太宰治 「喝采」
・・・私の答弁は、狡猾の心から、こんなに煮え切らないのでは無くて、むしろ、卑屈の心から、こんなに、不明瞭になってしまうのである。皆、私より偉いような気がしているし、とにかく誰でも一生懸命、精一ぱいで生きているのが判っているし、私は何も言えなくなる・・・ 太宰治 「鴎」
・・・その一群の花弁は、のろくなったり、早くなったり、けれども停滞せず、狡猾に身軽くするする流れてゆく。万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のやうな哲学者ショーペンハウエルは、彼の暗い洞窟の中から人生を隙見して、無限の退屈な欠伸をしながら、厭がらせの皮肉ばかりを言ひ続けた。一方であの荒鷲のやうなニイチェは、もつと勇敢に正面から突撃して行き、彼の師・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然かのみならず不品行にして狡猾なる奴輩は、己が獣行を勝手にせんとして流石に内君の不平を憚り、乃ち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時の行楽、一として意の如くなら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・それを男の方が狡猾だとおっしゃるのでございます。 そこであの手紙を差上げます。電報の御返事が参ります。女中を連れてパリイへ出て、ロメエヌ町の家に落ち着いて、あなたを御待ち受け申します。その時も多少興奮いたしているようではございましたが、・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫