・・・印度でも狐は仏典に多く見え、野干(狐とは少し異は何時も狡智あるものとなっている。祇尼天も狐に乗っているので、孔雀明王が孔雀の明王化、金翅鳥明王が金翅鳥の明王化である如く、祇尼天も狐の天化であろう。我邦では狐は何でもなかったが、それでも景戒の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・僕の文章は、思っていた程でも無かった。狡智の極を縦横に駆使した手紙のような気がしていたのですが、いま読んでみて案外まともなので拍子抜けがしたくらいです。だいいち、あなたにこんなに看破されて、こんな、こんな、」まぬけた悪鬼なんてあるもんじゃな・・・ 太宰治 「誰」
・・・私はあくまで狡智佞弁の弟になって兄たちを欺いていなければならぬ、と盗賊の三分の理窟に似ていたが、そんなふうに大真面目に考えていた。私は、やはり一週間にいちどは、制服を着て登校した。Hも、またその新聞社の知人も、来年の卒業を、美しく信じていた・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・胸の秘密、絶対ひみつのまま、狡智の極致、誰にも打ちあけずに、そのまま息を静かにひきとれ。やがて冥途とやらへ行って、いや、そこでもだまって微笑むのみ、誰にも言うな。あざむけ、あざむけ、巧みにあざむけ、神より上手にあざむけ、あざむけ。 ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・重ね重ね、私がぱちんと電燈を消したということは、全く私の卑劣きわまる狡智から出発した仕草であって、寸毫も、どろぼうに対する思いやりからでは無かったのである。私は、どろぼうの他日の復讐をおそれ、私の顔を見覚えられることを警戒し、どろぼうのため・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ さればカッフェーの創設者たる松山画伯にして、狡智に長けたること、若しかの博文館が二十年前に出版した書物の版権を、今更云々して賠償金を取立てるがように、カッフェーという名称を用いる都下の店に対して一軒一軒、賠償金を徴発していたら、今頃は・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・一々を実際の目で見ると、生物に与えられた狡智が、可笑しく小癪で愛らしい。いじめる気ではなく、怪我をさせない程度にからかうのは、やはり楽しさの一つだ。 ついこの間の晩、縁側のところで、私は妙な一匹の這う虫を見つけた、一寸五分ばかりの長さで・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・無知、狡智の錯綜が、一般性においてとりあげられている。 ゴーリキイがそこに生きて、そして殺されかかって観た一八八〇年末のロシアの農村には、既に階級があらわれ、農民の気分も、その人々が村で置かれている位置に従って変化をもっていることが、描・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫