・・・の字さんと狭苦しい町を散歩する次手に半之丞の話をしましたから、そのことをちょっとつけ加えましょう。もっともこの話に興味を持っていたのはわたしよりもむしろ「な」の字さんです。「な」の字さんはカメラをぶら下げたまま、老眼鏡をかけた宿の主人に熱心・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・殊に狭苦しい埠頭のあたりは新しい赤煉瓦の西洋家屋や葉柳なども見えるだけに殆ど飯田河岸と変らなかった。僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚の外に見るもののないことを覚悟していた。しかしこう言う見すぼらしさはやはり僕・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ただ大森の海岸に狭苦しい東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなお・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ ある日の午後、尼提はいつものように諸家の糞尿を大きい瓦器の中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒を並べた、狭苦しい路を歩いていた。すると向うから歩いて来たのは鉢を持った一人の沙門である。尼提はこの沙門を見るが早いか、・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・ 天気は寒いなりに晴れ上っていた。狭苦しい動坂の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所とか言う板葺きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこう言う町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走の心もちのよみ・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・もう鼠色のペンキの剥げかかった、狭苦しい玄関には、車夫の出した提灯の明りで見ると、印度人マティラム・ミスラと日本字で書いた、これだけは新しい、瀬戸物の標札がかかっています。 マティラム・ミスラ君と云えば、もう皆さんの中にも、御存じの方が・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ 手に、ケースを下げて、不案内の狭苦しい町の中へはいりました。道も、屋根も、一面雪におおわれていました。寒い風が、つじに立っている街燈をかすめて、どこからか、枯れたささの葉の鳴る音などが耳にはいりました。 どちらへ曲がったらいいかわ・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・ 二三日、狭苦しい種吉の家でごろごろしていたが、やがて、黒門市場の中の路地裏に二階借りして、遠慮気兼ねのない世帯を張った。階下は弁当や寿司につかう折箱の職人で、二階の六畳はもっぱら折箱の置場にしてあったのを、月七円の前払いで借りたの・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 店の向かって右の狭苦しい入口からすぐに二階へ上がるのであったかと思う。こういう家に通有な、急勾配で踏めばギシギシ音のする階段であった。段を上がった処が六畳くらいの部屋で表の窓は往来に面していた。その背後に三畳くらいの小さな部屋があって・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・雨の小息みもなく降りしきる響を、狭苦しい人力車の幌の中に聞きすましながら、咫尺を弁ぜぬ暗夜の道を行く時の情懐を述べた一章も、また『お菊さん』の書中最も誦すべきものであろう。 わたくしは今日でも折々ロッチの文をよむ。そして読むごとに、わた・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫