・・・つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとえば昔仁和寺の法師の鼎をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。 恋は死よりも強し・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ソロモンはやっと歌い終ると、王冠を頂いた頭を垂れ、暫くはじっと目を閉じていた。それから、――それから急に笑顔を挙げ、妃たちや家来たちとふだんのように話し出した。 タルシシの船やヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・謙譲の王冠というものも、有るかも知れぬ。平凡な日々の業務に精励するという事こそ最も高尚な精神生活かも知れない。などと少しずつ自分の日々の暮しにプライドを持ちはじめて、その頃ちょうど円貨の切り換えがあり、こんな片田舎の三等郵便局でも、いやいや・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・そんなひどい形容詞を、まっさきに案出して、それを私の王冠となして、得々としていたのは、誰でもない、私なのである。この私である。芸術の世界では、悪徳者ほど、はばをきかせているものだ、と誰がそんな口碑を教えたものか、たしかにそれを信じていた。高・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・桃色珊瑚ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・…… 夕飯後に甲板へ出て見るとまっ黒なホンコンの山にはふもとから頂上へかけていろいろの灯がともって、宝石をちりばめた王冠のようにキラキラ光っている。ルビーやエメラルドのような一つ一つの灯は濃密な南国の夜の空気の奥にいきいきとしてまたたい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・その時譲りを受けたるヘンリーは起って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の援を藉りて襲ぎ受く」と。さて先王の運命は何人も知る者がなかった。その死骸・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・立派な王冠の左右へ、虫の巣のように毛もじゃもじゃな黒い穴ばかりが、ポカリと開いていた。 その様子が非常に滑稽だったので、子供達や、正直な若い者は、皆、 王様は立派でいらっしゃるが、あの耳だけはおかしいなあ、と云ったり、笑ったりし・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・窓に金色の楯に王冠をかぶった獅子と馬とが前脚をかけた例の皇帝紋章が打ってある「大英宝石商会」である。 続いて堅牢な石の外壁に沿って走り乗合自動車は非常な雑踏のまっ只中に止る。そこは都会の三角州である。ここでは妙に身丈の縮小したように見え・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫