・・・東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。都市のことを言うに臨んで公園の如き閑地の体裁について多言を費すのは迂愚の甚しきものであろう。昭和二年六月記・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ポオル・ド・コックは何も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe 王政時代の巴里の市民が狭苦しい都会の城壁を越えて郊外の森陰を散歩し青草の上で食事をする態をば滑稽なる誇張の筆致を以てその小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・近くは三十年前の王政維新は、徳川政府の門閥圧制を厭うて其悪弊を矯めんとし、天下に大波瀾を起して其結果遂に目出度く新日本を見たることなり。当時若し社会の秩序云々に躊躇したらんには、吾々日本国民は今日尚お門閥の下に匍匐することならん。左れば今婦・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府を・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆せんことを企てたる、その最中に、王政維新の事あり。兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・ 然るに爰に遺憾なるは、我日本国において今を去ること二十余年、王政維新の事起りて、その際不幸にもこの大切なる瘠我慢の一大義を害したることあり。すなわち徳川家の末路に、家臣の一部分が早く大事の去るを悟り、敵に向てかつて抵抗を試みず、ひたす・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・彼がわずかに王政維新の盛典に逢うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・というよりも寧ろ原型にちかい。 利慾、狡猾、打算、すべて「名誉のうらには金がある」という王政復古時代の現実をなまなましく反映したバルザックの人物たちは、その旺盛な爪牙をといでつかみかかる対象を常に必要としたし、その関係が、バルザック流の・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・直木三十五、吉川英治らが明治維新を「王政復古の名によって描き出し、帝国主義段階の今日において大衆のファッショ化を積極的に強化しようとはかっている。」この現実の闘争におけるモメントこそわれわれプロレタリア作家に正しい歴史小説を書くべき任務を負・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
出典:青空文庫