・・・ これに反してここに紹介した各種の珍奇なレコードは、ともかくもそれぞれ一つの「自由度」に対する数量的レコードへのおぼつかない試みの第一歩として、それぞれに固有ななんらかの文化的な意味をもつものだと思われるのである。 三原山の投身自殺・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ということになって、それでこの珍奇な交渉は絶えてしまった。その後この歯医者がカシュガルに器械持参で出かけるついでの道すがらわざわざこのイブラヒム老人のためにその居村に立ち寄って、かねての話の入れ歯を作ってやろうと思った。老人を手術台にのせて・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし、逆説的に聞えるかもしれないが、その同じ颱風はまた思いもかけない遠い国土と日本とを結び付ける役目をつとめたかもしれない、というのは、この颱風のおかげで南洋方面や日本海の対岸あたりから意外な珍客が珍奇な文化を齎して漂着したことがしばしば・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・それからまた、日本では夢にも見つかろうとは思われなかった珍奇な植物「ヤッコソウ」のようなものが近ごろになって発見されたというような事実もある。これらの事実は植物に関することであるが、しかしまた、日本国民を組成しているいろいろな人種的民族的要・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・全く死滅しないまでも山椒魚か鴨の嘴のような珍奇な存在としてかすかな生存をつづけるに過ぎないであろう。そのかわりまた、ちょっと見ると変なようでも読んでいるうちにだんだんおもしろくなって来るようなものがあれば、だれがなんと批評しようが自然に賛美・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・ 私はこの蜂の巣を見付けたい、そしてこの珍奇な虫の団子がそこでいかに処理されるかを知りたいものだと思っている。 虫の行為はやはり虫の行為であって、人間とは関係はない事である。人として虫に劣るべけんやというような結論は今日では全く・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・有田については陶器よりも別な珍奇なものが頭の中のスケッチブックに記録されている。村外れの茶店で昼飯を食った時に店先で一人の汚い乞食婆さんが、うどんの上に唐辛子の粉を真赤になるほど振りかけたのを、立ちながらうまそうに食っていた姿が非常に鮮明に・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・というような現象でも昔は全く人間の聴官に訴える感覚的の音を考えていたのが、だんだんに物体の振動ならびにそのために起こる気波という客観的なものを考えるようになり「聞こえぬ音」というような珍奇な言葉が生じて来た。今日純粋物理学の立場から言えば感・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・チュリップ、ヒヤシンス、ベコニヤなどもダリヤと同じく珍奇なる異草として尊まれていたが、いつか普及せられてコスモスの流行るころには、西河岸の地蔵尊、虎ノ門の金毘羅などの縁日にも、アセチリンの悪臭鼻を突く燈火の下に陳列されるようになっていた。・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・故にこの冊子、たとい今日に陳腐なるも、五十年の後には却て珍奇にして、歴史家の一助たることもあるべし。 明治十年五月三十日福沢諭吉 記なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫