・・・……トこの奇異なる珍客を迎うるか、不可思議の獲ものに競うか、静なる池の面に、眠れる魚のごとく縦横に横わった、樹の枝々の影は、尾鰭を跳ねて、幾千ともなく、一時に皆揺動いた。 これに悚然とした状に、一度すぼめた袖を、はらはらと翼のごとく搏い・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・この温泉場は、泊からわずか四五里の違いで、雪が二三尺も深いのでありまして、冬向は一切浴客はありませんで、野猪、狼、猿の類、鷺の進、雁九郎などと云う珍客に明け渡して、旅籠屋は泊の町へ引上げるくらい。賑いますのは花の時分、盛夏三伏の頃、唯今はも・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 珍客に驚きて、お通はあれと身を退きしが、事の余りに滑稽なるにぞ、老婆も叱言いう遑なく、同時に吻々と吹き出しける。 蝦蟇法師はあやまりて、歓心を購えりとや思いけむ、悦気満面に満ち溢れて、うな、うな、と笑いつつ、頻りにものを言い懸けた・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・相川の家族はかわるがわる出て、この珍客を款待した。七歳になる可愛らしい女の児を始め、四人の子供はめずらしそうに、この髭の叔父さんを囲繞いた。御届私儀、病気につき、今日欠勤仕り度、此段御届に及び候也。 こう相川は書・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・私が自分の部屋を片づけ、狭い四畳半のまん中に小さな机を持ち出し、平素めったに取り出したことのないフランスみやげの茶卓掛けなぞをその上にかけ、その水色の織り模様だけでも部屋の内を楽しくして珍客をもてなそうとしたころは、末子も学校のほうから帰っ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・そのように私は元来、あの美談の偉人の心懐には少しも感服せず、かえって無頼漢どもに対して大いなる同情と共感を抱いていたつもりであったが、しかし、いま眼前に、この珍客を迎え、従来の私の木村神崎韓信観に、重大なる訂正をほどこさざるを得なくなって来・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・しかし、逆説的に聞えるかもしれないが、その同じ颱風はまた思いもかけない遠い国土と日本とを結び付ける役目をつとめたかもしれない、というのは、この颱風のおかげで南洋方面や日本海の対岸あたりから意外な珍客が珍奇な文化を齎して漂着したことがしばしば・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ それはとにかく、自分らの教室にとっては誠に思いがけない遠来の珍客なので、自分は急いで教室主任のN教授やT老教授にもその来訪を知らせ引き合わせをしたのであったが、両先生ともにいずれも全然予期していなかったこの碩学の来訪に驚きもしまた喜ば・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫