・・・しかしマドレエヌは現在の煩悶を遁れて、過去の記念の甘みが味いたいと云う欲望をほのめかしている。男子の貞操を守っていない夫に対して、復讐がしてやりたいと云う心持が、はっきり筆に書いてはないが、文句の端々に曝露している。それに受身になって運命に・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・たまたま時間を写すものありとも、そは現在と一様なる事情の過去または未来に継続するに過ぎず。ここに例外とすべき蕪村の句二首あり。御手討の夫婦なりしを更衣打ちはたす梵論つれだちて夏野かな 前者は過去のある人事を叙し、後者は未・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・特務曹長「ええ、只今のは実は現在完了のつもりであります。ところで閣下、この好機会をもちまして更に閣下の燦爛たるエボレットを拝見いたしたいものであります。」大将「ふん、よかろう。」特務曹長「実に甚しくあります。」大・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ 溝口というひとはこれからも、この作品のような持味をその特色の一つとしてゆく製作者であろうが、彼のロマンチシズムは、現在ではまだ題材的な要素がつよい。技法上の強いリアリスティックな構成力、企画性がこの製作者の発展の契機となっているのであ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・その必要を認めなくてはならないと云うこと、その必要を認める必要を、世間の人は思っても見ないから、どうしたら神話を歴史だと思わず、神霊の存在を信ぜずに、宗教の必要が現在に於いて認めていられるか、未来に於いて認めて行かれるかと云うことなんぞを思・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・そもこの身の夫のみのお身の上ではなくて現在母上の夫さえもおなじさまでおじゃるのに……さてもさても。武士の妻はかほどのうてはと仰せられてもこの身にはいかでかいかでか。新田の君は足利に計られて矢口とやらんで殺されてその手の者は一人も残らず……あ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・それぞれ人人は何らかの思想の体系の中に自分を編入したり、されたりしたことを意識しているにちがいない現在、――いかなるものも、自分が戦争に関係がないと云えたものなど一人もいない現在の宿命の中で、何を考え、何の不平を云おうとしているのであろうか・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・私たちはただ未来を信じて、現在に努力すればいいのです。努力のための勇気と快活とを奮い起こせばいいのです。現在の小ささを悟れば悟るほど努力の熱は高まって来ます。自分の運命を信じて、今に見ろ今に見ろと言いながら努力する事は、自分に対していいのみ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫