・・・にいっているように、従来現存していたところの人々間の美しい精神的交渉は、漸次に廃棄されて、精神を除外した単なる物的交渉によっておきかえられるに至った。すなわち物心という二要素が強いて生活の中に建立されて、すべての生活が物によってのみ評定され・・・ 有島武郎 「想片」
・・・はと申しますと、これはどうも実際社会に現存して居る人物の悪者を極端まで誇張して書いたような形跡があります。まさかに馬琴の書きましたほどの悪人が、その当時に存して居ったとは思えませぬが、さればとてそれは全く馬琴の空想ばかりで捏造したものではあ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える。」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛みたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。佐渡には何も無い。あるべ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・音楽舞踊はいかなる野蛮民族の間にも現存する。建築や演劇でも、いずれもかなりな灰色の昔にまでその発達の径路をさかのぼる事ができるであろう。マグダレニアンの壁画とシャバンヌの壁画の間の距離はいかに大きくとも、それはただ一筋の道を長くたどって来た・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・もっともこの記録では、当時これが現存したものか、あるいは過去の事として書いたものか、あまり判然とはしない。そしてとにかくわれわれの現時はないと言われている。自分の幼時にこの事を話した老人は現に自分でこれを体験したかのごとく話したが、それは疑・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ 要するに西鶴が冷静不羈な自分自身の眼で事物の真相を洞察し、実証のない存在を蹴飛ばして眼前現存の事実の上に立って世界の縮図を書き上げようとしている点が、ある意味で科学的と云っても大した不都合はないと思われる。 科学者にも色々の型・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・事によると自分が家の始末に帰る前にもう取り片付けに着手していた母の手で何かといっしょに倉の中へしまい込まれて今でもどこかに自分の所有物として現存しているのか、それとも雑品の中に交じってくず屋の手に渡ってしまったのかもしれない。郷里の家は人に・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・そうして注文部と小売部と連絡がないためか、店の陳列棚にそれが現存していても注文した分が着荷しなければ送ってくれなかったりする。頼んだつもりのが頼んだことになっていなかったりすることもある。雑誌のバックナンバーなど注文すると大概絶版だと断わっ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・そして半人半獣の怪物が現存し得ざるゆえんを説いているのである。 次には原始人類の生活状態から人文の発達の歴史をかなり詳しく論じている。これらの所説を現在学者の所説と比較してみてもおそらく根本的にはいくらも違わないのではないかと思われる。・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・ この種の観念群の中には、普遍性はないまでも個人個人にはともかくも事件的の連関の記憶が現存していて、それを説明しさえすれば他人も納得するような種類のものも多いが、しかしまた中には自分自身に考えてもどうしても二つのものの間の連鎖が考えられ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫