・・・ラサールはマルクスと異なり、理念に導かれた人間の道徳的意志が歴史の発展を導き得るとなした。彼は個人主義の法治国家のかわりに、社会連帯の利害の上に建設せらるべき文化国家の理想をおき換えることを要請した。文化国家は国家の統制力によって、個人が孤・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・美と徳との理念をはなれて、彼女たちを考えることはできぬ。したがって彼女たちが何であるかを探り、彼女たちを手に入れるためには美と徳との鍵を忘れることはできない。―― 青年たちはこういうふうに娘たちを、美と善との靄のなかにつつんで心に描くこ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・プラトンとダンテとを読むと読まないとではその人の理念の世界の登攀の標高がきっと非常に相違するであろう。 高さと美とは一目見たことが致命的である。より高く、美しいものの一触はそれより低く一通りのものでは満足せしめなくなるものである。それ故・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するも・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・それはヘーゲルの理念的弁証法と逆の立場に立つものであろう。歴史的世界の自己形成においては、形相と質料とが何処までも相反するとともに、矛盾的自己同一として、形相から質料へ、質料から形相へ、形が形自身を限定するのである。そこに真に実在即当為、当・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・深山の中に唯一人で住んでる仙人なんていうものは、おそらく西洋人の知らない東洋の理念であろう。とにかく僕は、無用のおしゃべりをすることが嫌いなので、成るべく人との交際を避け、独りで居る時間を多くして居る。いちばん困るのは、気心の解らない未知の・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・る間に、インテリゲンツィアとしての作家が政治経済の活動への参加から切り離されていると同時に被動的な社会的立場に置かれて来た大衆の日常ともその知性によって切り離され、次第に芸術の内容を非社会的な、主観と理念と弱小な自我の輾転反側の中に萎縮させ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ソヴェトへの旅行において、ジイドは遂に客観的にソヴェトを語ることが出来ず、従来小説の人物をも理念でこしらえていたように、何かこしらえものを語っている。旅行記の中で、遺憾ながらジイドは昔ながらに自分の前に自己の熱意の投影のみを見ているのである・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・即ち、当時のヒューマニズムの提唱さえも既に不安の文学といわれた時から現代日本文学の精神に浸潤しはじめた現実把握と理念との分裂の上に発生しているものであったという事実である。 ヒューマニズムを求める社会感情は、当時極めて一般的な翹望であっ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 野呂を尊敬し、後進する人間的な社会理念にとってその生きかたこそ一つの鼓舞であると感じることが真実であるならば、逸見氏は、どうして知識人の勇気をもって、自身の辛苦の中から、野呂栄太郎こそ、嘗て生ける屍となった自身やその他の幾多のものの肉・・・ 宮本百合子 「信義について」
出典:青空文庫