・・・には理知的興味が勝っているので、そういうものを要求する観客にはおもしろいかもしれない。そういう観客には「七月十四日」はかえってはなはだ空疎なものに見えるかもしれない。それでこの二つの映画を見せて、そのいずれを選ぶかによって観客の定型を二つに・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ きわめて大ざっぱに考えてみると、当初の緊張が主として理知的でありあるいは道徳的である場合には笑いを招致しやすく、これに反して緊張が情緒的または本能的である場合に泣くほうに推移しやすいのではないかと思われる。 大山鳴動して一鼠が飛び・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それを見付けた時には丁度絵捜しをさがしあてたような理知的の満足は得られても、それから後は却ってその点ばかりが眼について仕方がない。これが暗礁になって私の美しい幻の船は難破してしまう。 私は作家が自覚してこのような絵をこしらえるとは思わな・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ウィリアム・ジェームスの心理学の中に「音楽の享楽にふける事でさえも、その人が自分で演奏者であるか、あるいはその音楽を純理知的に受け入れるほどに音楽的の天賦を有するのでなければ、その人の人格をゆるめ弱めるという結果を生ずるだろう。……この弊を・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・これでも芭蕉のは活殺自由のヴァイオリンの感じがあり、凡兆は中音域を往来するセロ、去来にはどこか理知的常識的なピアノの趣がなくはない。 しかしこういう見立てのようなことはもちろん見る人によっていろいろちがいうるものであり、なんら絶対普遍的・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そしてそう云う場合に用いられる法律的権利は、最も慎重な反省と、深い理知的批判を経た後にのみ決定されるべきもので、単純な反抗心や、浅薄な優越を得たい為であってはならないのは勿論の事でございます。 ところが、こちらでは、そう云う事件の場合、・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・保守的 退嬰的 非進歩的 非理知的 偏狭固陋であればある程、それだけ正しいのである。大言壮語家! p.281○理性よ、下れ! ロシアは矛盾なく 公言される信条である。「人はロシアを理性をもってではなく、信仰をもって理解しなければならぬ」・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・文学的創作は、理知的な構成力、綜合力を非常に要求する。どういう階級に属していようとも、自分の描こうとする社会、心理を具体的に、観察的に把握し、その全体をひっくるめた相互関係を歴史の発展性の上において理解し、整理しなければものにならない。・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・そこには、その時分まだ批判精神は理知的・論理的・意志的なものであり、芸術性は感情的・感性的なものであるというような昔風な知情意の区分が、統一された人間精神の発動の各面という理解にまで高められていなかったことも現れているのである。 プロレ・・・ 宮本百合子 「文学精神と批判精神」
出典:青空文庫