・・・大川の水があって、はじめて自分はふたたび、純なる本来の感情に生きることができるのである。 自分は幾度となく、青い水に臨んだアカシアが、初夏のやわらかな風にふかれて、ほろほろと白い花を落すのを見た。自分は幾度となく、霧の多い十一月の夜に、・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・quemoo の原形 quemal の訳は単に「生きる」というよりも「飯を食ったり、酒を飲んだり、交合「じゃこの国にも教会だの寺院だのはあるわけなのだね?」「常談を言ってはいけません。近代教の大寺院などはこの国第一の大建築ですよ。ど・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・私はこの力を以て己れを鞭ち他を生きる事が出来るように思う。お前たちが私の過去を眺めてみるような事があったら、私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。 雨などが降りくらして悒鬱な気分が家の中に漲る日などに、どうかするとお前た・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・昔から人生五十というが、それでも八十位まで生きる人は沢山ある。それと同じ程度の長生はする。しかし死ぬ。B 何日になったら八十になるだろう。A 日本の国語が統一される時さ。B もう大分統一されかかっているぜ。小説はみんな時代語にな・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 人間は、到底、理知のみで生きることはできない。心の満足を必要とする。それが得られないために、僅かに憧憬によって、悲惨な生活にも堪え得るのだ。 漂浪者の多くは、曾て郷土に反抗した人達であった。しかして、流浪の末に、最後に心の慰安を多・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・英雄も、天才もたゞ真実に生きる人間という以外に、何ものもなかった筈です。 この頃に至って、私は、ようやく虚名からも、また利欲からも、心を煩わされなくなりました。たゞ、自分の理想に生きるということ、正義のために戦わなければならぬということ・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・あたしは養生して二百歳まで生きる。奇蹟。化石になる頃、皆あたしを忘れる。文章だけに残る。醜い女、二百歳まで生きて、鼻が低かったと。そしてさらに一生冒さず、処女! 殺されればあたしも美人だ。あたかもお化けがみな美人である如く。お岩だっても・・・ 織田作之助 「好奇心」
・・・中毒といってしまえば、一番わかりやすいが一つにはもし、私にも生きるべき倦怠の人生があるとすれば、私は煙草を吸うことによってのみ、その倦怠の人生を生きているのかも知れない。私が煙草を吸わなくなれば、もう私には生きるべき人生もない。煙草を吸わな・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・誰が禅みたいなあほらしいものに引かかって、自分の生きる死ぬるの大事なことを忘れる奴があるか!」と、私はムッとして声を励まして言ったが、多少図星を指された気がした。「それではとにかく行李を詰めましょうか」と、弟はおとなしく起って、次ぎの室・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 堯はこの頃生きる熱意をまるで感じなくなっていた。一日一日が彼を引き摺っていた。そして裡に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れようと焦慮っていた。――昼は部屋の窓を展いて盲人のようにそとの風景を凝視める。夜は屋の外の物音・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
出典:青空文庫