・・・殺すは悪、恵むは善というような意欲の実質的価値判断を混うるならば、祖国のための戦いに加わるは悪か、怠け者の虚言者に恵むは善かというような問いを限りなく生ずるであろう。東洋の禅や、一般に大乗的な宗教の行為の決定に形式の善をとって、実質の善をと・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・しかし現実の恋愛は実に多様な場合があり、陥りやすき人間の弱点があり、社会的不備から生ずる同情すべき散文的側面があり、必ずしも一概にはいえないさまざまの事情があるものである。 ことに私の上来のいましめはイデアリストに現実的心得を説くよりも・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・並行線をなして居るのは、作者の思想や感情や趣味が当時の実社会と同じであるところより生じ、交叉線をなすのは作者の思想感情趣味が当時の実社会と異なるところより生ずるのであります。京伝だの三馬だの一九だのという人々は即ち並行線的作者で、その思想も・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・エッフェル鉄塔が夜と昼とでは、約七尺弱、高さに異変を生ずるなど、この類である。鉄は、熱に依って多少の伸縮があるものだけれども、それにしても、約七尺弱とは、伸縮が大袈裟すぎる。そこが、不思議である。神意、ということを考えないわけにいかない。私・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気づかいもない。 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたく・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・舞台の右端から流れだす義太夫音楽の呼気がかからなければ決してあれだけの効果を生ずることはできないのはもちろんである。それかといって、人形の演技は決してこの音楽のただの伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏であ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・現代の日本人は祖国に生ずる草木の凡てに対して、過去の日本人の持っていたほどの興味を持たないようになった。わたくしは政治もしくは商工業に従事する人の趣味については暫く擱いて言わぬであろう。画家文士の如き芸術に従事する人たちが明治の末頃から、祖・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・それから生ずる無限の哀傷が、即ち江戸音曲の真生命である。少くともそれは二十世紀の今日洋服を着て葉巻を吸いながら聞くわれわれの心に響くべき三味線の呟きである。さればこれを改良するというのも、あるいはこれを撲滅するというのも、いずれにしても滅び・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。 一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
出典:青空文庫