・・・「神田で生れたんですもの。なかなか気前のいい妓や。延若を喰わえだして、温泉宿から電報で家へお金を言ってこようという人ですもの。ああいうのが芸者でしょうね。どうして腕っこきですよ。あの人が……それもこの家で、ちらと辰之助さんを見て、すぐ呼・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 諸君、明治に生れた我々は五六十年前の窮屈千万な社会を知らぬ。この小さな日本を六十幾つに劃って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間と人間の間には階級があり格式があり分限があり、法度でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しい・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ハワイで生れてハワイの小学校にあがっていたが、日本に帰って勉強するために、お祖母さんと、妹と三人で、私が犬に吠えられて茄子を折った邸の、すぐ隣りの大きな家に住んでいた。 クラスのうちで一番身体が大きく、一番勉強もできたので、ずウッと級長・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 祖国の自然がその国に生れた人たちから飽かれるようになるのも、これを要するに、運命の為すところだと見ねばなるまい。わたくしは何物にも命数があると思っている。植物の中で最も樹齢の長いものと思われている松柏さえ時が来ればおのずと枯死して行く・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・彼は貧乏な家に生れた。それで彼は骨が太くなると百姓奉公ばかりさせられた。彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は彼の父の遺伝である。だが甞て乱暴したということもなく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・この髯男は杜鵑を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける。別に恥ずかしと云う気色も見えぬ。五分刈は向き直って「あの声は胸がすくよだが、惚れたら胸は痞えるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・私は北国の一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮した。十三、四歳の時、小姉に連れられて金沢に出て、師範学校に入った。村では小学校の先生程の学者はない、私は先生の学校に入ったのである。然るに幸か不幸か・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
上 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 一体こいつ等はどんな星の下に生れて、どんな廻り合せになっているのだ。だが、私は此事実を一人で自分の好きなように勝手に作り上げてしまっていたのだろうか。 倒れていた男はのろのろと起き上った。「青二才奴! よくもやりやがったな。サ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・(因 私は北九州若松港に生まれて育ったので、小さいときから海には親しんだ。泳ぎも釣りも好きだった。その釣りの初歩のころ、やたらに河豚がかかるのであきれたものである。河豚は水面と海底との中間を泳いでいるし、食い意地が張っているので、エサを・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
出典:青空文庫