・・・私は是非とも、新に二度目の飼犬を置くように主張したが、父は犬を置くと、さかりの時分、他処の犬までが来て生垣を破り、庭を荒すからとて、其れなり、家中には犬一匹も置かぬ事となった。尤も私は、その以前から、台所前の井戸端に、ささやかな養所が出来て・・・ 永井荷風 「狐」
・・・その生垣につづいて、傾きかかった門の廡には其文字も半不明となった南畝のへんがくが旧に依って来り訪う者の歩みを引き留める。門をはいると左手に瓦葺の一棟があって其縁先に陶器絵葉書のたぐいが並べてある。家の前方平坦なる園の中央は、枯れた梅樹の伐除・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・その時母の持っていた雪洞の灯が暗い闇に細長く射して、生垣の手前にある古い檜を照らした。 父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようにな・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ その石をそばへ取り除けると、彼は垣根の生け垣の間から、鍬と鋸とを取り出した。 鍬は音を立てないように、しかしめまぐるしく、まだ固まり切らない墓土を撥ね返した。 安岡の空な眼はこれを見ていた。彼はいつの間にか陸から切り離された、・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 薄きたない白が、尾を垂れ、歩くにつれて首を揺り乍ら、裏のすきだらけの枸橘の生垣の穴を出入りした姿が今も遠い思い出の奥にかすんで見える。 白、白と呼んでは居たが、深い愛情から飼われたのではなかった。父の洋行留守、夜番がわりにと母が家・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・杉か何かの生垣で、隣との境が区切られている。ぶらぶらと彼方此方歩き、眺め、自分はよく、ませ過ぎた憂愁の快よさに浸ったものだ。彼方には、皆の、恐らく子供の、領分がある。自分はここで、枯れかけた花を見、ひやひやするこみちを歩き、自分にほか分らな・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・うちの垣根は表も裏もからたちの生垣で、季節が来ると青い新芽がふき、白い花もついた。 裏通りは藤堂さんの森をめぐって、細い通が通っており、その道を歩けばからたちの生垣越しに、畑のずいきや莓がよく見えた。だから莓の季節には、からたちの枝を押・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・その直ぐ向うは木槿の生垣で、垣の内側には疎らに高い棕櫚が立っていた。 花房が大学にいる頃も、官立病院に勤めるようになってからも、休日に帰って来ると、先ずこの三畳で煎茶を飲ませられる。当時八犬伝に読み耽っていた花房は、これをお父うさんの「・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・家の南側のまばらな生垣のうちが、土をたたき固めた広場になっていて、その上に一面に蓆が敷いてある。蓆には刈り取った粟の穂が干してある。その真ん中に、襤褸を着た女がすわって、手に長い竿を持って、雀の来て啄むのを逐っている。女は何やら歌のような調・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ 借家は町の南側になっている。生垣で囲んだ、相応な屋敷である。庭には石灰屑を敷かないので、綺麗な砂が降るだけの雨を皆吸い込んで、濡れたとも見えずにいる。真中に大きな百日紅の木がある。垣の方に寄って夾竹桃が五六本立っている。 車から降・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫