・・・己はあの生真面目な侍の作った恋歌を想像すると、知らず識らず微笑が唇に浮んで来る。しかしそれは何も、渡を嘲る微笑ではない。己はそうまでして、女に媚びるあの男をいじらしく思うのだ。あるいは己の愛している女に、それほどまでに媚びようとするあの男の・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ ロイドめがねを真円に、運転手は生真面目で、「多分の料金をお支払いの上、お客様がですな、一人で買切っておいでになりましても、途中、その同乗を求むるものをたって謝絶いたしますと、独占的ブルジョアの横暴ででもありますかのように、階級意識・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ と一言の許に笑って退けたが、小宮山はこの女何を言うのかしらと、かえって眉毛に唾を附けたのでありまする、女は極く生真面目で、「実はお客様、誠に申兼ねましたが、少々お願いがございますんですよ、外の事ではありませんが、さっき貴方のお口か・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 女は私の言葉をなんときいたのか、生真面目な顔で言った。私はまだこの女の微笑した顔を見ていない、とふと思った。 そして、私もこの女の前で一度も微笑したことはない……。 女はますます仮面のような顔になった。「ほんまに、あの人く・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・もっとも一代の方では寺田の野暮な生真面目さを見込んだのかも知れない。もともと酒場遊びなぞする男ではなかったのだが、ある夜同僚に無理矢理誘われて行き、割前勘定になるかも知れないとひやひやしながら、おずおずと黒ビールを飲んでいる寺田の横に坐った・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ かようにして浪曼的理想主義者としての私の、恋愛運命論を腹の底に持っての、多少生真面目な、青年学生諸君への助言のようなものができあがったのである。 参考書のたぐいPlaton : Symposion, Pha・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・蟻が塔を造るような遅たる行動を生真面目に取って来たのであるから、浮世の応酬に疲れた皺をもう額に畳んで、心の中にも他の学生にはまだ出来ておらぬ細かい襞が出来ているのであった。しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 生真面目で、癇癖の強い兄を、私はこわくて仕様がないのだ。但馬守だの何だの、そんな洒落どころでは無いのだ。「責任を持ちます。」北さんは、強い口調で言った。「結果がどうなろうと、私が全部、責任を負います。大舟に乗った気で、彦左に、ここ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・かに一日一日を生きて居られた藤村、島崎先生から、百枚ちかくの約束の玉稿、ぜひともいただいて来るよう、まして此のたびは他の雑誌社に奪われる危険もあり、如才なく立ちまわれよ、と編輯長に言われて、ふだんから生真面目の人、しかもそのころは未だ二十代・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・このごろ私は、自分の駄目加減を事ある毎に知らされて、ただもう興覚めて生真面目になるばかりだ。黙って虫のように勉強したいなどというてれくさい殊勝げの心も、すべてそこのところから発しているのだ。先日も、在郷軍人の分会査閲に、戦闘帽をかぶり、巻脚・・・ 太宰治 「鉄面皮」
出典:青空文庫