・・・私は産室に降りていって、産婦の両手をしっかり握る役目をした。陣痛が起る度毎に産婆は叱るように産婦を励まして、一分も早く産を終らせようとした。然し暫くの苦痛の後に、産婦はすぐ又深い眠りに落ちてしまった。鼾さえかいて安々と何事も忘れたように見え・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ その時、提紙入の色が、紫陽花の浅葱淡く、壁の暗さに、黒髪も乱れつつ、産婦の顔の萎れたように見えたのである。 谷間の卵塔に、田沢氏の墓のただ一基苔の払われた、それを思え。「お爺さん、では、あの女の持ものは、お産で死んだ記念の納も・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・雪女は拵えの黒塀に薄り立ち、産女鳥は石地蔵と並んでしょんぼり彳む。一ツ目小僧の豆腐買は、流灌頂の野川の縁を、大笠を俯向けて、跣足でちょこちょこと巧みに歩行くなど、仕掛ものになっている。……いかがわしいが、生霊と札の立った就中小さな的に吹当て・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 直に小春が、客の意を得て、例の卓上電話で、二人の膳を帳場に通すと、今度註文をうけに出たのは、以前の、歯を染めた寂しい婦で、しょんぼりと起居をするのが、何だか、産女鳥のように見えたほど、――時間はさまでにもなかったが、わけてこの座敷は陰・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・未産婦で乳癌になるひとは珍らしいと、医者も不思議がっていた。入院して乳房を切り取ってもらった。退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・例えば年若き婦人が出産のとき、其枕辺の万事を差図し周旋し看護するに、実の母と姑と孰れが産婦の為めに安心なるや。姑必ずしも薄情ならず、其安産を祈るは実母と同様なれども、此処が骨肉微妙の天然にして、何分にも実母に非ざれば産婦の心を安んずるに足ら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ○看板に、火がぱっとつき、それで家にうつる。それを皆でこわす。 ○産婦が非常に出産する。日比谷で、幾人も居る。順天堂でも患者をお茶の水に運び、精養軒へ行き駒込の佐藤邸へうつる迄に幾人も産をした。 ◎隅田川に無数の人間の死体が燃・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・後からしずかに唸っている若い産婦の背中を撫ではじめた。 分娩室では、丁度今五人の産婦が世話をされているところだ。助産婦が敏捷に体と手とを働かしながら、単純な優しい、励ましの言葉をかけてやっている。激しい、生の戦場だ。「――説明をおと・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫