・・・しかしわたしは画架に向うと、今更のように疲れていることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだった。わたしは勿論この火鉢に縁の焦げるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかった。彼女は籐椅子に腰かけたなり、時々両腿の筋・・・ 芥川竜之介 「夢」
沢本と瀬古とがとも子をモデルにして画架に向かっている。戸部は物憂そうに床の上に臥ころんでいる。沢本 おい瀬古、ドモ又がうなっているぞ、死ぬんじゃあるまいな。瀬古 僕も全くうなりたくなるねえ、死にたくなるね・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・何かごとごと言わせて戸棚を片づける音、画架や額縁を荷造りする音、二階の部屋を歩き回る音なぞが、毎日のように私の頭の上でした。私も階下の四畳半にいてその音を聞きながら、七年の古巣からこの子を送り出すまでは、心も落ちつかなかった。仕事の上手なお・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・裁判所だか海軍省だかの煉瓦を背景にした、まだ短夜の眠りのさめ切らぬような柳の梢に強い画趣の誘惑を感じたので、よほど思い切って画架を立てようかと思っていると、もうそこらを歩いている人が意地悪く此方へ足を向け始めるような気がする。ゴーゴルか誰か・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もと使った絵の具箱やパレットや画架なども、数年前国の家を引き払う時に、もうこんなものはいるまいと言って、自分の知らぬ間に、母がくず屋にやってしまったくらいである。 その後都へ出て洋画の展覧会を見たりする時には、どうかすると中学時代の事を・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・しかしどうもこの東京の街頭に画架をすえて、往来の人を無視してゆっくり落ち着いて、目を細くしたり首をひねったりする勇気は――やってみたら存外あるかもしれないが、考えてみただけではどうもなさそうに思われる。せめて郊外へでも行けばそういう点でいく・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・洋服の上に汚れた白の上っぱりを着たままで、肩から絵具箱をかけ、片手にも画架か何かを持っていた。そして如何にも疲れ切って大儀なからだを無理に元気を出して、捨鉢に歩いてでもいるような気がした。何だかいたいたしいような心地がした。黒の中折を冠った・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
出典:青空文庫