・・・稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越した祖母の手に育てられて来たのだそうです。ですから茂作が重病になると、稲見には曽祖母に当る、その切髪の隠居の心配と云うものは、一通りや二通りでは・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・もし、ご結婚をなされば、この国に疫病が流行します。」と、おばあさんの予言者はいいました。 お姫さまは、これを聞いて、心配なされました。どうしたらいいだろうかと、それからというものは、毎日、赤い、長いそでを顔にあてては、泣いて悲しまれたの・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・登勢も名を知っている彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめ二三尺の長さのものがいつか空いっぱいに伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・正元元年より二年にかけては大疫病流行し、「四季に亙つて已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。日蓮世間の体を見て、粗一切経を勘ふるに、道理文証之を得了んぬ。終に止むなく勘文一通を造りなして、其の名を立正安国論と号す。文応元年七月十六日、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・たとえば、五穀の豊饒を祈り、風水害の免除をいのり、疫病の流行のすみやかに消熄することを乞いのみまつったのである。かくして民族の安寧と幸福を保全することが為政者の最も重要な仕事の少なくも一部分であったのである。 この重要な仕事に連関して天・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 最後にアゼンスにおける疫病流行当時の状況がリアルな恐ろしさをもって描き出されている。マンローによればこれはおもにツキジデスを訳したものだそうであり中には誤謬もあるそうである。これは医者が読んだらさだめておもしろいものであろうと思う。こ・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・僕の五官は疫病にでも取付かれたように、あの女子のために蹣跚いてただ一つの的を狙っていた。この的この成就は暗の中に電光の閃くような光と薫とを持っているように、僕には思われたのだ。君はそれを傍から見て後で僕に打明てこう云った。あいつの疲れたよう・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・小吉が門を出ようとしてふと足もとを見ますと門の横の田の畔に疫病除けの「源の大将」が立っていました。 それは竹へ半紙を一枚はりつけて大きな顔を書いたものです。 その「源の大将」が青い月のあかりの中でこと更顔を横にまげ眼を瞋らせて小吉を・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
出典:青空文庫