・・・お政も子供も病身、健康なは自分ばかり。それでも一家無事に平和に、これぞという面白いこともない代り、又これぞという心配もなく日を送っていた。 ところが日清戦争、連戦連勝、軍隊万歳、軍人でなければ夜も日も明けぬお目出度いこととなって、そして・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 細君は病身であるから余り家事に関係しない。台所元の事は重にお清とお徳が行っていて、それを小まめな老母が手伝ていたのである。別けても女中のお徳は年こそ未だ二十三であるが私はお宅に一生奉公をしますという意気込で権力が仲々強い、老母すら時々・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少い時のことなどを知っていて、十歳の頃から病身な母親の世話をして、朝は自分で飯を炊き母の髪まで結って置いて、それから小学校へ行った……病中も、母親の見えるところに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・父はすでに歿し、母は病身ゆえ、少年の身のまわり一切は、やさしい嫂の心づくしでした。少年は、嫂に怜悧に甘えて、むりやりシャツの襟を大きくしてもらって、嫂が笑うと本気に怒り、少年の美学が誰にも解せられぬことを涙が出るほど口惜しく思うのでした。「・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・そうして皆に、はきはきした口調で挨拶して、末席につつましく控えていたら、私は、きっと評判がよくて、話がそれからそれへと伝わり、二百里離れた故郷の町までも幽かに響いて、病身の老母を、静かに笑わせることが、出来るのである。絶好のチャンスでは無い・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・娘さんは、隣りの宿屋に、病身らしい小学校二、三年生くらいの弟と一緒に湯治しているのである。私の部屋の窓から、その隣りの宿の、娘さんの部屋が見えて、お互い朝夕、顔を見合せていたのであるが、どっちも挨拶したことは無し、知らん振りであった。当時、・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・いったいに病身らしくて顔色も悪く、なんとなく陰気な容貌をしていた。見物人中の学生ふうの男が「失礼ですが、貴嬢は毎日なんべんとなく、そんな恐ろしい事がらを口にしている、それで神経をいためるような事はありませんか」と聞くと、なんとも返事しないで・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・十二三歳のころ病身であったために、とうとう「ちりけ」のほかに五つ六つ肩のうしろの背骨の両側にやけどの跡をつけられてしまった。なんでもいろいろのごほうびの交換条件で納得させられたものらしい。 大学の二年の終わりに病気をして一年休学していた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・三十格好と思われる病身そうな青白い顔に、あごひげをまばらにはやしているのが夜目にもわかった。そうしてその熱病患者に特有なような目つきが何かしら押え難い心の興奮を物語っているように見えた。男の背中には五六歳ぐらいの男の子が、さもくたびれ果てた・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮れたばかりのせいか、格子戸内の土間には客は一人もいず、鉄の棒で境をした畳の上には、いつも見馴れた三十前後の顔色のわるい病身らしい番頭が小僧に衣類をたたませていた。われわれは一先・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
出典:青空文庫