・・・最後に長い嘴が痙攣的に二三度空を突いた。それが悲劇の終局であった。人間の死と変りない、刻薄な悲劇の終局であった。――一瞬の後、蜂は紅い庚申薔薇の底に、嘴を伸ばしたまま横わっていた。翅も脚もことごとく、香の高い花粉にまぶされながら、…………・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・ホップ夫人は該ステュディオにはいるや、すでに心霊的空気を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐すること数回に及べり。夫人の語るところによれば、こは詩人トック君の強烈なる煙草を愛したる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく痙攣して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、発作が甚しくなると、必ず左右の鬢の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――近習の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引にした。そう云う時・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・うとましい音が彼れの腹に応えて、馬は声も立てずに前膝をついて横倒しにどうと倒れた。痙攣的に後脚で蹴るようなまねをして、潤みを持った眼は可憐にも何かを見詰めていた。「やれ怖い事するでねえ、傷ましいまあ」 すすぎ物をしていた妻は、振返っ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・しかし革紐が緊しく張っているのと、痙攣のように体が顫うのとを見れば、非常な努力をしているのが知れる。ある恐るべき事が目前に行われているのが知れる。「待て。」横の方から誰やらが中音で声を掛けた。 広間の隅の、小さい衝立のようなものの背・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・顔はかくれて、両手は十ウの爪紅は、世に散る卍の白い痙攣を起した、お雪は乳首を噛切ったのである。 一昨年の事である。この子は、母の乳が、肉と血を与えた。いま一樹の手に、ふっくりと、且つ健かに育っている。 不思議に、一人だけ生・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 女は暫らく私を見凝めるともなく、想いにふけるともなく捕えがたい視線をじっと釘づけにしていたが、やがていきなり歪んだ唇を痙攣させたかと思うと、「私の従兄弟が丁度お宅みたいなからだ恰好でしたけど、やっぱり肺でしたの」 膝を撫でなが・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・は名前のごとく始終体を痙攣させている男だが、なぜか廓の妓たちに好かれて、彼のために身を亡した妓も少くはなかった。豹一は妓の白い胸にあるホクロ一つにも愛惜を感じる想いで、はじめて嫉妬を覚えた。博奕打ちに負けたと思うと、血が狂暴に燃えた。妓が「・・・ 織田作之助 「雨」
・・・みるみる皮膚が痛み、真蒼な痙攣が来た。客の方も気づいて、びっくりした顔だった。睨みつけたまま通りすぎようとしたらしいが、思い直したのか、寄って来て、「久し振りやないか」 硬ばった声だった。「まあ、知ったはりまんのん?」 同じ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・空の胃袋は痙攣を起したように引締って、臓腑が顛倒るような苦しみ。臭い腐敗した空気が意地悪くむんむッと煽付ける。 精も根も尽果てて、おれは到頭泣出した。 全く敗亡て、ホウとなって、殆ど人心地なく臥て居た。ふッと……いや心の迷の空耳・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫