・・・「よし、よし、そう私を莫迦にするんなら、まだお前は痛い目に会い足りないんだろう」 婆さんは眼を怒らせながら、そこにあった箒をふり上げました。 丁度その途端です。誰か外へ来たと見えて、戸を叩く音が、突然荒々しく聞え始めました。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・何しろこう下腹が押し上げられるように痛いと云うんですから――」「ははあ、下腹が押し上げられるように痛い?」 戸沢はセルの袴の上に威かつい肘を張りながら、ちょいと首を傾けた。 しばらくは誰も息を呑んだように、口を開こうとするものが・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・陸の方を向いていると向脛にあたる水が痛い位でした。両足を揃えて真直に立ったままどっちにも倒れないのを勝にして見たり、片足で立ちっこをして見たりして、三人は面白がって人魚のように跳ね廻りました。 その中にMが膝位の深さの所まで行って見まし・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「痛い」 それが聞きたかったのだ。彼れの肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり立つ血のきおいに眼がくるめいた。彼れはいきなり女に飛びかかって、所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れにからまりついた。そ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・――ただ一雫の露となって、逆に落ちて吸わりょうと、蕩然とすると、痛い、疼い、痛い、疼いッ。肩のつけもとを棒切で、砂越しに突挫いた。」「その怪我じゃ。」「神職様。――塩で釣出せぬ馬蛤のかわりに、太い洋杖でかッぽじった、杖は夏帽の奴の持・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・姑たちが話すのを、ふいに痛い胸に聞いたのです。画家 それは薄情だ。夫人 薄情ぐらいで済むものですか。――私は口惜さにかぜが抜けて、あらためて夫に言ったんです。「喧嘩をしても実家から財産を持って来ます。そのかわりただ一度で可うござんす・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・肩が痛む腰が痛む、手の節足の節共にきやきやして痛い。どうもえらいくたぶれようだ。なあに起きりゃなおると、省作は自分で自分をしかるようにひとり言いって、大いに奮発して起きようとするが起きられない。またしばらく額を枕へ当てたまま打つ伏せになって・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「うそうそ、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出した。卦算の亀の子をおもちゃにしていた。「全体どうしてお前はこんなところにぐずついてるんだ?」「東京へ帰りたいの」「帰りたきゃア早く帰ったらいいじゃアないか?」「おッ母・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 天使でありますから、たとえ破られても、焼かれても、また轢かれても、血の出るわけではなし、また痛いということもなかったのです。ただ、この地上にいる間は、おもしろいことと、悲しいこととがあるばかりで、しまいには、魂は、みんな青い空へと飛ん・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・枕は脂染みた木枕で、気味も悪く頭も痛い。私は持合せの手拭を巻いて支った。布団は垢で湿々して、何ともいえない臭がする。が、それはまだ我慢もできるとして、どうにもこうにも我慢のできないのは、少し寝床の中が暖まるとともに、蚤だか虱だか、ザワザワザ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫