・・・が、その位のことの為に自殺するのは彼の自尊心には痛手だった。彼はピストルを手にしたまま、傲然とこう独り語を言った。――「ナポレオンでも蚤に食われた時は痒いと思ったのに違いないのだ。」 或左傾主義者 彼は最左翼の更に左翼に・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手だから、なかなか起られぬ。到底も無益だとグタリとなること二三度あって、さて辛うじて半身起上ったが、や、その痛いこと、覚えず泪ぐんだくらい。 と視ると頭の上は薄暗い空の一角。大きな星一ツに小・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・毎日真剣勝負をするような気になって、良い物、悪い物、二番手、三番手、いずれ結構上じょうじょうの物は少い世の中に、一ト眼見損えば痛手を負わねばならぬ瀬に立って、いろいろさまざまあらゆる骨董相応の値ぶみを間違わず付けて、そして何がしかの口銭を得・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・おそらくこの痛手を負った母を引きずりながらこの場を逃げ出そうとするのであろう。その母はもうとうに呼吸が絶えており、そうして自分のからだには繩がかかっているのである。 この母熊の肉は探険隊員のあまたの食卓をにぎわすと同時に隊員のビタミン欠・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・子供たちがいるとき、子供は母を失うか父を失うかしなければならず、その痛手は、子供にとって実に痛烈である。結婚の自由、そして離婚の自由があるとき、すべての人は、女も男も、自分たちの心のなかに一つの声をきくと思う。――みなさまの責任は? みなさ・・・ 宮本百合子 「離婚について」
・・・それというのは、第一次ヨーロッパ大戦において、日本の財閥と軍閥とは儲けこそしたが痛手というような痛切な経験は一つもしていない。折を見て、連合国側にちょいと参加して、南洋の旧ドイツ領の委任統治地を稼いだし、青島に日本名で町名をつけることに成功・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・徳右衛門も痛手に屈せず取って返した。 このとき裏門を押し破ってはいった高見権右衛門は十文字槍をふるって、阿部の家来どもをつきまくって座敷に来た。千場作兵衛も続いて籠み入った。 裏表二手のものどもが入り違えて、おめき叫んで衝いて来る。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・中の口まで出たが、もう相手の行方が知れない。痛手を負った老人の足は、壮年の癖者に及ばなかったのである。 三右衛門は灼けるような痛を頭と手とに覚えて、眩暈が萌して来た。それでも自分で自分を励まして、金部屋へ引き返して、何より先に金箱の錠前・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫