・・・そして耕吉の窓の下をも一二度、口鬚の巡査は剣と靴音とあわてた叫声を揚げながら、例の風呂敷包を肩にした、どう見ても年齢にしては発育不良のずんぐりの小僧とともに、空席を捜し迷うて駈け歩いていた。「巡査というものもじつに可愛いものだ……」耕吉は思・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・胃を悪るくする者、下痢する者など方々で悲鳴をあげた。発育ざかりの私の二人の子供は、一日一升五合くらいの飯を平らげてまだなにかほしそうな顔をしているのだが、外米の入った飯になると、かわいそうなほど急に、いつもの半分くらいしか食わなくなって悄げ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・わたしはまだ日の出ないうちに朝顔に水をそそぐことの発育を促すに好い方法であると知って、それを毎朝の日課のようにしているうちに、そこにも可憐な秋草の成長を見た。花のさまざま、葉のさまざま、蔓のさまざまを見ても、朝顔はかなり古い草かと思う。蒸暑・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・ 四人ある私の子供の中で、身長の発育にかけては三郎がいちばんおくれた。ひところの三郎は妹の末子よりも低かった。日ごろ、次郎びいきの下女は、何かにつけて「次郎ちゃん、次郎ちゃん」で、そんな背の低いことでも三郎をからかうと、そのたびに三郎は・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落ちて、ひどく脳を打って、それからあんな発育の後れたものに成ったとは、これまで彼女が家の人達にも、親戚にも、誰に向ってもそういう風にばかり話して来たが、実はあの不幸な娘のこの世に生れ落ち・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ ああ、ただ単に、発育がおくれているというだけの事であってくれたら! この長男が、いまに急に成長し、父母の心配を憤り嘲笑するようになってくれたら! 夫婦は親戚にも友人にも誰にも告げず、ひそかに心でそれを念じながら、表面は何も気にしていな・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・それだけのもの、つまり智能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣虫のことなの? あああ、何をまた、そんな蒼い顔をして、私を見つめるの。いやだ。帰って下さい。あなたは頼りにならない・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・この下の子は、母体の栄養不良のために生れた時から弱く小さく、また母乳不足のためにその後の発育も思わしくなくて、ただもう生きて動いているだけという感じで、また上の五歳の女の子は、からだは割合丈夫でしたが、甲府で罹災する少し前から結膜炎を患い、・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・将来もしもここで言うような連句的な前衛映画が培養され発育しうる土地があるとすれば、それはおそらくわが日本のほかにはないであろうと思われる。そうしてそれはおそらくフランス人とロシア人にはいくぶんかは理解されるであろうと思われる。それにかかわら・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・むしろ日常身辺の自分に最も親しい物質の世界の事柄を深く注目し静かに観察してその事柄の真相をつき止めようという人間本然の傾向を助長し発育させるのが第一の近道であろう。それの手始めには、例えば風呂場に一本の寒暖計を備えるのも一策である。そうして・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
出典:青空文庫