・・・信乃が滸我へ発足する前晩浜路が忍んで来る一節や、荒芽山の音音の隠れ家に道節と荘介が邂逅する一条や、返璧の里に雛衣が去られた夫を怨ずる一章は一言一句を剰さず暗記した。が、それほど深く愛誦反覆したのも明治二十一、二年頃を最後としてそれから以後は・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・――私は今更ながらいい伴侶と共に発足する自分であることを知りました。気持もかなり調和的になっていたのでこの友の行為から私自身を責め過ぎることはありませんでした。 しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・自分如きも、青春期、いのちの目ざめのときの発足は「善い人間」になりたいということであった。「最も善い人間が最も幸福でなければならぬ」と自分は思った。自分はまだそのときカントの第二批判を知らなかったが、自分のたましいの欲するところはとりもなお・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 日蓮の出家求道の発足は認識への要求であった。彼の胸中にわだかまる疑問を解くにたる明らかなる知恵がほしかったのだ。それでは彼の胸裡の疑団とはどんなものであったか。 第一には何故正しく、名分あるものが落魄して、不義にして、名正しか・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ われわれは生の探求に発足した青年に、永遠の真理の把握と人間完成とを志向せしめようと祈願するとき、彼らがいずれはその理性知を揚棄せねばならぬことを注意せざるを得ず、またその読者の選択を合理的知性に対応する方向のみに向けしむることは衷心か・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・直観道学はそれを打ち消して利己以上の発足点を説こうけれども、自分らの知識は、どうも右の事実を否定するに忍びない。かえって否定するものの心事が疑われてならない。(衆生済度傍に千万巻の経典を積んでも、自分の知識は「道徳の底に自己あり」という一言・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ やっぱり、夢だったかなあ、と魚容は悲しげな顔をして首を振り、一つ大きい溜息をついて、力無く故土に向けて発足する。 故郷の人たちは、魚容が帰って来ても、格別うれしそうな顔もせず、冷酷の女房は、さっそく伯父の家の庭石の運搬を魚容に命じ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。発足の期、近にあり。怱々筆をとって西洋書中の大意を記し、他日諸君の考案にのこすのみ。明治三年庚午一一月二七夜、中津留主居町の旧宅敗窓の下に記す福沢諭吉・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・その人々が一生をつくして仕上げたいと思う生存の目標に向って進む自己を悦びにより、苦しみにより一層豊饒にし、賢くしてくれる恋愛、それから発足した範囲の広い愛の種々相に対して、私共は礼讚せずにはいられませんが、無限な愛の一分野と思われる恋愛ばか・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・はじめ、日本の民主化のために発足したいろいろの「委員会」は、四年の間にあわれやへたぐされとなってきている。 わたしたちは、こういう全体の傾向を理解し、委員会の本質について、一層監視をおこたってはならない状態におかれているのである。 ・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
出典:青空文庫