・・・たとい皮肉は爛れるにしても、はらいそ(天国の門へはいるのは、もう一息の辛抱である。いや、天主の大恩を思えば、この暗い土の牢さえ、そのまま「はらいそ」の荘厳と変りはない。のみならず尊い天使や聖徒は、夢ともうつつともつかない中に、しばしば彼等を・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ 洋一はそう云う叔母の言葉に、かすかな皮肉を感じながら、自分の座蒲団を向うへ直した。が、叔母はそれは敷かずに、机の側へ腰を据えると、さも大事件でも起ったように、小さな声で話し出した。「私は少しお前に相談があるんだがね。」 洋一は・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰があたりますよ」 彼も思わず皮肉になった。父に養われていればこそこんなはずかしめも受けるのだ。な・・・ 有島武郎 「親子」
・・・仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。 凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」「寝ました。」「母は?」「行火で、」と云って、肱を曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。「貴女にあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内か・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・そういう皮肉な読者には弱る、が、言わねば卑怯らしい、裸体になります、しからずんば、辻町が裸体にされよう。 ――その墓へはまず詣でた―― 引返して来たのであった。 辻町の何よりも早くここでしよう心は、立処に縄を切って棄てる事であっ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつも、あないなことばかり云うとります。どうぞ、しかってやってお呉れやす。」「まア、こういう人間は云いたいだけ云わして置きゃア済むんで・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・前年など、かかえられていた芸者が、この娘の皮肉の折檻に堪えきれないで、海へ身を投げて死んだ。それから、急に不評判になって、あの婆さんと娘とがいる間は、井筒屋へは行ってやらないと言う人々が多くなったのだそうだ。道理であまり景気のいい料理店では・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ところが、そんなら立派な人の紹介状を持って来ようとツウと帰ったというのが如何にも皮肉なので、誰か知らんと色々考えてる中に偶っと浮んだのは君だ。ドウモ君らしい。コイツ失敗ったと、直ぐ詫びに君の許へ出掛けると今度は君が留守でボンヤリ帰ったような・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ しかし、その皮肉が通じたかどうか、顔色も声の調子も変えなかった。じっと前方を見凝めたまま相変らず固い口調で、「いいえ、上手と違いますわ。この頃は気持が乱れていますのんか、お手が下ったて、お習字の先生に叱られてばっかりしてますんです・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫